博多藤四郎(はかたとうしろう)

  • 指定:重要文化財
  • 短刀 銘 吉光 (名物:博多藤四郎)
  • 文化庁蔵
  • 長さ 8寸1分5厘弱(24.6cm)
  • 反り 殆どなし

 

博多藤四郎は、粟田口吉光作の短刀で「享保名物帳」追記の部に所載する。筑前国福岡藩二代藩主:黒田忠之が所持した。福岡の隣の博多から出たため、博多藤四郎という異名がついたのであろう。忠之は参勤交代の時であろう、豊前小倉初代藩主:小笠原忠真に、これを小倉の海上で送ったという。喜んだ忠真は、郷義弘の太刀とともに、これを陣刀にした。本阿弥光室が「郷義弘は七千貫、博多藤四郎は五千貫という高価な名刀、それを陣刀になさるのは珍しいこと」と言ったところ、忠真は「大坂の夏の陣で、父と兄は討死、自分は深手を負う、という体験をした。武士は最期が大事だから、最後のため名刀でも陣刀にするのだ」と答えた。以後、小笠原家に伝来、昭和6年国宝認定。戦後、同家を出て、重宝文化財に指定された。

名物帳には「小笠原右近将監(忠雄)殿 博多藤四郎 銘有 長さ八寸壱分半 代金弐百枚 古極
黒田忠之小倉表海上にて古右近殿へ被進、博多は黒田殿領分にて博多より出る道具か右之通名付也」

長さ8寸1分5厘弱(24.6cm)、平造、庵棟、殆ど反りなく、先の方はわずかに内側に俯す。地は、小杢目つみ、元と先にやや大肌の板目交じり、地沸つき、棒映通る。刃文は、こまか沸出来ののたれ調の広直刃、区上の処に二,三個小豆状の互の目まじり、物打ち辺は刃細くなり、帽子の刃は掃きかけ、先尖って少し返る。彫物は表は護摩箸、裏は腰樋に添樋の名残があり、共に区下で掻流している。茎は、生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔一個、吉光の二字銘がある。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 8寸1分5厘弱(24.6cm)
反り 殆どなし
元幅 7分2厘(2.2cm)

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