日向正宗(ひゅうがまさむね

  • 指定:国宝
  • 短刀 無銘 相州正宗 (名物:日向正宗)
  • 三井記念美術館蔵
  • 長さ 8寸2分弱(24.85cm)
  • 反り 内反り

 

 

日向正宗は相州正宗作の短刀で「享保名物帳」に所載する。もと石田三成が所持し、堅田正宗とも呼ばれたのは関ヶ原の役で石田三成にくみし、断絶した江州堅田二万石の領主:堅田広澄より贈られたものだったからという。三成はこれを妹婿、または娘婿といわれる福原長堯(直高)に与えた。
長堯は関ヶ原の役で、大垣城の主将だったが、関ヶ原の敗戦をきいて、味方に裏切りが出るとともに、寄せ手の水野勝成から、勝成の父:忠重を殺した加賀井重望の子が城中にいる。それを渡してくれたら、長堯の生命を保証する、と申し入れてきた。それを信じて、長堯は開場し、法体となり、伊勢の朝熊山に退いた。しかし、その約束は守られず、長堯自殺させられ、堅田正宗は勝成の手に入った。大垣城攻めでの分捕り品なので、以後、大垣正宗と呼ばれた。
いつごろのことか、勝成は借金のかたに、これを紀州徳川家に渡した。徳川頼宣はこれを承応2年(1652)12月、嗣子:光貞に与えた。紀州家では水野日向守勝成の官銘に因み、日向正宗と呼ぶことになった。以後、紀州徳川家に伝来していたが、昭和2年、紀州徳川家の売り立てで、2,768円で落札され、三井男爵家に入り、昭和16年、国宝に認定された。

名物帳には、「御同所(紀伊国殿) 日向(正宗) 堅田 大垣とも 無銘 長さ八寸弐分半
裏護摩箸。石田治部少輔殿所持。関ヶ原の時大垣より水野日向守殿分捕りせらる、に依(って)大垣とも申也。日州より借金之方に紀伊大納言殿へ参(る)。関ヶ原之時分福原右馬介大垣之城主也、此人治部方にて候や聢と不知。護摩箸は光徳好(み)にて出来(す)。脇指之目(方)四拾弐匁八分有之由光甫被申也。享保四亥十一月名物帳仕立上(ぐる)に付(き)紀州御屋敷へ四郎三郎より尋(ね)に遣(す)。承応二午十二月 南流院殿より清渓院殿へ被進。元禄十一寅五月三郎兵衛へ吟味に遣(す)。前は堅田と唱え候得共夫より日向と申由也。」

形状は、平造、三ツ棟。鍛えは、板目つまり、小杢目交じり、地沸つき、地景入る。刃文は、のたれに互の目交じり、大きく乱れ、沸厚くつき、金筋かかる。帽子は、乱れて先小丸、掃きかけ、深く返る。彫物は、裏に護摩箸。茎は、生ぶ、先剣形、鑢目勝手下がり、目釘孔三。
裏の護摩箸は本阿弥光徳の好みにより彫られたと、「享保名物帳」にある。刀身の目方は三十五匁、鎺の目方は十匁ある。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 8寸2分弱(24.85cm)
反り 内反り
元幅 7分3厘(2.21cm)
茎長さ 3寸1分強(9.4cm)