岩融(いわとおし)

  • 薙刀
  • 長さ 3尺5寸(約106.0cm)

巌通しともいう。武蔵坊弁慶の薙刀と伝えられている。刃長3尺5寸(約106.0cm)、三条宗近の作ともいう。弁慶の脇指も岩通しといい、そのほか4尺2寸(約127.3cm)の太刀を佩いていたという。
武蔵坊弁慶の薙刀は、奥州本吉郡(宮城県)の田束山は、安元(1175)年中、藤原秀衡が70余坊を建立した巨刹であった。ここに弁慶の薙刀と称するものが伝来していたので、天和3年(1683)の冬、伊達家でこれを召し上げたという。
伊達家には、昔から伝来、刃長2尺6寸1分(約79.1cm)の薙刀があった。「国重」と在銘のほかに、「昔者武蔵坊弁慶之所持也 我伊達伯世々伝為重器者也」と朱銘があった。
「剣槍秘録」 巻二 一四四
一弁慶御長刀 銘国重 長
平泉から召し上げた、という大薙刀もあった。刃長3尺2寸6分(約98.9cm)で藩主:伊達重村が「伝言武蔵坊者之眉尖刀也 蔵于武庫也亦久矣因記 三尺晴雪 利用防君子身(花押)」、と銘を入れさせた。柄は黒漆塗りだったが、鞘は白鞘のままだった。

愛媛の大山祗神社に伝わるものは、大薙刀 無銘 (伝武蔵坊弁慶奉納)長さ102.2cm、反り5.6cm、茎を含めた全長は2メートルを超える長大な薙刀である。重ね厚く、先反りやや強いが先幅はさほど広くはなく、鎬筋が峰まで通り菖蒲の葉状となる。板目肌がつみ映り立つ地鉄に、刃文は小丁字乱れで小互の目が交る。腰に薙刀樋、平地に太めの添樋を掻く、中心は生ぶで目釘孔を茎先に空けている。
薙刀は、平安期から中世にかけて盛行した武器であるが、製作当時の姿をそのままに伝える遺品は少ない。大山祗神社には多くの甲冑類と共に、こうした薙刀もまとまって伝存し、昭和47年に七口が一括して重要文化財の指定をうけた。これはその中の一口で、武蔵坊弁慶の奉納と伝えている。
大山祗神社は愛媛県越智郡大三島町鎮座の旧官弊大社である。祭神は大山積大神(おおやまつみのおおかみ)、延喜の制で名神大社、のち伊予国一宮となり、海上守護神・武神として朝野の崇敬を集めた。殊に国主越智氏、豪族河野氏は古くから氏神として篤く崇敬した。武具類を中心として宝物は数多く、国宝8点、重要文化財23点があり、中でも甲冑類は全国指定物件の8割を占める。

弁慶に薙刀という諺の意味は、弁慶に薙刀を持たせたように、強いがうえにも強くなることを意味し、鬼に金棒と同意である。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

 

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