柏太刀(かしわだち)

  • 指定:重要文化財
  • 大太刀 無銘 (号:柏太刀)
  • 日光二荒山神社蔵
  • 長さ 5尺6分(135.3cm)
  • 反り 1分1厘(3.2cm)

 

 

柏太刀は、長大な体配から南北朝時代の作と見られ、肌立って整わない地鉄や、小模様に乱れた刃文の状態から豊後国高田派のものといわれる。高田派は、南北朝時代初期の頃の友行を祖として興り、室町時代後期に実用刀として大いに作られ新刀期に及んでいる。高田派の大太刀としては、愛媛の大山祇神社にある国宝の無銘・高田友行の作品が知られている。刀身裏の切付銘は、やや研減りが進むものの「日光山奉納新宮御宝前□□□小田平塚入道」とあり、小田平塚入道は常陸国の戦国大名の重臣平塚自省と思われる。また、親鸞の六老僧の一人:了源とも伝える。了源は、初め平塚入道法求と称し、相州大磯の高麗三社権現の別当だった。しかし、了源では鎌倉期なので時代があがり過ぎるようである。
柏太刀の号の由来は、この太刀が柏の葉で包んだ柏餅を食べる習慣のある、五月の端午の節句に奉納されたからという。柏の葉は落葉樹であるが、新芽が育つまで葉が落ちないことから、子孫繁栄に繋がる縁起の良いものとされ、刀装具の太刀金具等の意匠としても用いられている。
柏太刀は毎年4月の弥生祭のさい、瀬登太刀・祢々切丸の両太刀とともに、頭のついた雄鹿の革の上に並べ神に捧げられる。
鎬造、庵棟、長寸で重ねが厚く、身幅広く、大鋒で深く反っている。刀身に比して茎の長い大太刀である。鍛えは板目に杢目が交じり、総体に流れて肌立ち、地沸がついている。刃文は焼の低い小乱で、小丁字・丁字・互の目を交えて小足が入り、小沸がむらにつき、区上を焼落としている。帽子は乱れて先沸づき火焔となる。彫物は表裏に棒樋、区上で丸止し、佩裏平地に切付銘がある。茎は生ぶで反りが僅かにつき、先やや細り刃上り栗尻、鑢目は筋違、目釘孔二個、元来の無銘で「柏太刀」の号がある。

柏太刀には黒漆山金蛭巻太刀拵が附し、総長194.8cm、柄長59.3cm、鞘長135.5cmとなる。柄は黒漆塗、山金の帯金を蛭巻にする。兜金は蛭巻きと同質の山金で素文、中央内側に花先形を対向させ、猿手を付け、縁金物は山金、筒状で表裏に花先形の深い切れ込みを入れる。鐔は山金、葵形、素文で、四方に猪目の透かしを入れる。倒卵形の小切羽が表裏二枚ずつ付属する。
鞘は黒漆塗、柄と同様に山金の帯金を鞘口から石突まで全面に蛭巻する。鞘口金物は山金、入八双形に切れ込み、猪目を透かす。二の足に山金の先端を花先形にした雨覆の一部が残っている。足金物は幅の広い単脚式で中心に鎬を作り出し、櫓金は素文、小刻、小刻の座金を重ね、腰の低い方形の鐶を付ける。石突は山金で長く、中央内側に花先形を対向させる。
瀬登太刀と同様の蛭巻太刀であり、山金の兜金、葵形の鐔、足金物の形状も同じである。細かな点では、足金物の形状も同じである。細かな点では、足金物の櫓金が瀬登太刀は鍍金の金具を付けて二重とし、雨覆は鍍金しているのに対し、柏太刀は一重であり、鍍金を施していないこと、また芝引を付けていないことなどが相違する。帯執が欠失し、兵庫鎖であったかは不明であるが、瀬登太刀と同時期の製作といわれている。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 5尺6分(135.3cm)
反り 1分1厘(3.2cm)
元幅 1分1厘(3.4cm)
先幅 8分9厘(2.7cm)
鋒長さ 2寸2分4厘(6.8cm)
茎長さ 1尺7寸9分(54.3cm)
総長 6尺2分6厘(189.6cm)