江雪左文字(こうせつさもんじ)

  • 指定:国宝
  • 太刀 銘 筑州住左(名物:江雪左文字)
  • 長さ 2尺5寸8分(78.2cm)
  • 反り 9分弱(2.7cm)

 

 

江雪左文字は筑前の左文字作の太刀で小田原北条氏の臣:板部岡越中守融成入道江雪斎の佩刀であった。江雪斎は天正17年(1589)7月、主命によって上洛し、真田家の上州沼田城を北条氏に下さるならば、明年、北条氏政を上洛させる、と豊臣秀吉に約束して帰った。秀吉が約束どおり沼田城を北条氏に与えたところ、それを受け取った北条の家臣:猪俣範直は、さらに真田領の名胡桃まで奪取した。怒った秀吉は小田原征伐を敢行した。北条氏降伏後、秀吉が江雪斎を召し、約束違反を詰問したところ、北条氏が約束違反したのではない。猪俣が勝手な振る舞いをしたのである。たとえ約束違反でも主家がそれを敢えてするならば、家来たるもの、それに従うのが道である。今は何をいっても栓ないこと、速やかに首を刎ねられよ、と動じるところがなかった。
秀吉はそれに感じて罪を許し、お咄衆として起用した。そして姓を岡野と改めさせた。そのとき佩刀の左文字を秀吉に献上したのであろう。秀吉はこれを徳川家康に贈り、家康は末子の徳川頼宣(紀州徳川家:初代藩主)に与えた。頼宣はこれを帯びて、大坂の両度の役に参加した。以来、紀州徳川家に伝来し、同家の第一等の重器とされた。昭和7年、国宝に指定された。江雪左文字には黒漆塗鞘研出駿河鮫鞘打刀拵が附帯し、後藤乗真の目貫・笄、後藤程乗の小柄、鐔は鉄、鮫鞘には替え鞘が二本つく。昭和9年、同家の売り立てに出され、24,300円で落札された。その後、長尾美術館蔵になっていたが、戦後は同館を出ている。

鎬造、丸棟、重ね尋常、刃肉豊かにつき、磨上ながら腰反り高く、踏張りつき、中鋒延びて、力強い体配を示す。鍛えは、板目肌よく錬れて杢交じり、地沸厚くつき、地景よく現われ、かねに潤いがあって強く冴える。刃文は、浅いのたれ調に互の目を交え、上半丸い具の目が連れるところあり、表裏の刃取りがやや異なり、湯走り・飛焼交じり、匂深く、輝く沸よくつき、上半は下半に比して匂い幅やや締まりぎみとなり、砂流し・金筋かかり、匂口明るく冴える。帽子は、面はのたれて尖りごころに僅かに返り、裏は大きく乱れてくびれ先尖りごころに倒れてやや異風な形となり、ともに先掃きかける。表裏に丸止めの棒樋。茎は磨上、先切り、原鑢目は大筋違、目釘孔五。
江雪左文字は身幅広く堂々たる体配であるが、鋒が延びきっておらず、重ねもさして薄くない点から、南北朝でも延文・貞治型に移行する一歩手前の姿態とされる。精緻な地がねの美しさと明るく冴える様は見事であり、刃文には敢えてまとまりに拘らない大胆さが窺われ、剛毅さと品の良さを併せ持つ味わい深い名作である。

左文字は筑前の刀工:実阿の子と伝え、最初は良西-西蓮-実阿と続く古典的な鄙ぶる大和気質の作風を踏襲して作刀しているが、中途より相州伝を導入し、それまでの九州物に見ない地刃が冴えて垢ぬけした乱刃の作域を創作している。この伝統を打破して作風を一変させているところに古来より正宗十哲の一人に挙げられる所以がある。左文字にみられる製作年紀には建武5年・暦応2年が数口ある。左文字の太刀の有銘作は、光徳刀絵図や光山押形には、二,三見られるものの、実存する作例は江雪左文字一口のみであった。

紀州徳川家において江雪左文字をいかに丁重に扱っていたかについては、本阿弥日州先生が語られた今村長賀翁の逸話が残されている。
「大名家に伝えられた名品などは、簡単には手にすることが出来ないという有名な話があります。明治に今村長賀という鑑定家がおられたことは皆さんもご承知かと思いますが、長賀翁が紀州徳川家に伝えられた江雪左文字という名物を、内務省のお仕事で国宝指定の審査の為に拝見させてもらった時のことです。東京:初台の清和園という紀州家のお屋敷に参上した先生は、その日、草野とおっしゃる家令に相談してやっとのことで拝見させていただく段になったわけですが、床の間に飾られているお刀をご覧になって大変驚いたそうです。お刀掛けには白い羽二重の布が掛けられていて、そこには裸のまま刀が置かれており、先生がそれを前にして座ると、先生の両脇に二人ずつ、都合四人のご家来衆がずらりと並び、それではどうぞごらん下さいとおっしゃったそうです。そう言われても刀を手に取って見るわけにもゆかず、畳の上を這うようにしてうやうやしく近付き、ただただ這いつくばるようにして江雪左文字を拝見させていただいたそうです。今村長賀先生といえば、当時刀剣鑑定で右に出る者がいませんでしたが、その先生ですら手にふれさせてもらえなかったというお話しです。
(中略)
日本の美術品の中で一番健全に保存されているものは刀剣です。昔の人は、それはそれは刀を大切に取り扱ったものですよ。例えば秀吉の愛刀であった江雪左文字は、先にも申し上げましたが紀州徳川家に伝えられており、この刀は常にお城の天守閣に保管され、毎日お小姓衆が交代でお守りをしていたといわれています。そして、どこの大名家でも、戦に行くときは一番の名刀ではなく、その次のものを戦場にもっていったとも伝えられております。」

江雪左文字の黒漆研出鮫打刀拵で、鞘は鮫を着せて黒漆を塗り、これを研ぎ出している。小柄・笄をつけず、栗形がとくに薄くなっている。柄は黒塗り鮫を着せ、茶革で菱巻にし、抱茗荷文の金目貫を入れる。赤銅鑢地の縁は珍しく、頭は黒塗角である。鐔は鉄石目地の鉄丸形無文で黒漆をかけたもの。この拵が誰の嗜好によるものかは明かではないが、桃山時代の製作で、渋く、粋なもので、総体に調和のよくとれた優れた一口である。

黒漆研出鮫打刀拵
総長:107.3cm 総反り:4.8cm 柄長:24.9cm 鞘長:83.5cm 鞘反り:2.7cm
頭縦:3.8cm強 縁縦:4.1cm 鞘口縦:4.3cm弱 鐺縦:3.9cm強
鞘口~栗形:6.18cm 栗形~返角:10.1cm
鐔:縦8.9cm強 横:8.7cm弱 耳厚:0.4cm強
柄:黒塗鮫、熏韋双つまみ巻、漆懸
鞘:黒漆研出鮫、無櫃
頭:角 縁:赤銅鑢地 目貫:丸ニ抱茗荷紋三双容彫 鐺:赤銅地
鐔:鉄浅い木瓜形、石目地、漆懸、両櫃

江雪左文字打刀拵替柄二本 (附)由緒書
長さ(縁付):24.3cm 。24.0cm。(縁無し)24.1cm。23.8cm。
黒漆殺継塗白鮫着、茶糸菱巻き。白鮫着、金茶糸菱巻。江戸時代初期。
二本の柄前には由緒書が附されている。その由緒書によると、徳川家康公の十男でもある紀州徳川家初代藩主頼宣公が、家康公より拝領の江雪左文字の御刀に使用されたと記してある。江雪左文字には元来附されていた拵と、替え拵三口、合計四口の拵えが存在し、この二本の柄前はその四口の内、二口の替え拵の記述が合致している。由緒書によると、家康公より南龍院様(徳川頼信公:初代藩主)御拝領後、南龍院様御遺物として高林院様(紀州三代目藩主綱教公)へ伝わると記してあり、書中、一、御柄鮫黒作はしりの所白。と黒漆を殺継に塗ってあるこの柄前であり、一、御三所物は赤銅鹿の角に蜂(封候図)。として小柄は程乗。目貫、笄は乗真と記されているので、この柄前に使用されている目貫は乗真である。もう一本の柄前は、一、御柄鮫白。一、御三所物赤銅色絵甲、但御小柄御笄は甲に鞭。と記されているが作者の記載は無い。尚、御縁、御切羽、御鍔は共用と記してあるので、二本の柄前に一具の縁が附されているのに納得が出来る。このような確かな伝来、それも最上位ともいえる伝来品は非常に貴重であり、質素ながら品格を秘めた重厚さから南龍公のお人柄が偲ばれる。

近年、左文字有銘の太刀の遺例は江雪左文字のみであったが、太刀 銘 筑州(以下切)(伝左文字)なるもう一振が出現した。磨上げにより、「筑州」以下の銘字は切れているが、書風的にも左文字の特色が見られ、また作域的にも佩表上半に互の目が連れる態があり、さらに表裏の刃取りがやや異なる点などの江雪左文字とも相通じるものがあることから、左文字の作と判断されている。江雪左文字につぐ左文字在銘の太刀の稀有な遺例として頗る貴重であり、左文字研究上資料的にも極めて価値が高い。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 2尺5寸8分(78.2cm)
反り 9分弱(2.7cm)
元幅 1寸6厘(3.2cm)
先幅 7分1厘(3.2cm)
元重ね 2分(0.7cm)
先重ね 1分3厘(0.4cm)
鋒長さ 1寸3分2厘(4.0cm)
茎長さ 7寸2分(21.8cm)
茎反り 僅か