三日月宗近(みかづきむねちか)

  • 指定:国宝
  • 太刀 銘 三条(名物:三日月宗近)
  • 東京国立博物館蔵
  • 長さ 2尺6寸4分(80.0cm)
  • 反り 9分2厘(2.8cm)

三日月宗近は「享保名物帳」に所載する、三条宗近の作の太刀の異名である。刀号は刃縁に三日月形の打ちのけが多くあることに因んだものであるが、「長享銘盡」にすでに宗近は、「三日月ト云太刀造之」、とあるから、遅くても、室町中期には、すでに「三日月宗近」と呼ばれていたことになる。「鬼丸国綱」・「数珠丸恒次」・「童子切安綱」・「大典太光世」と並び天下五剣と称せられている。
三条宗近は、京の三条に住した刀工で「三条小鍛治」の名で広く知られており、年代を永延頃と伝えている。有銘確実なものは極めて少なく、佩表に「宗近」と切るものと、佩裏に「三条」と切るものの両様がある。
もと権大納言・日野内光の所持というから、その頃はすでに三日月宗近という異名はついていたことになる。柳本賢治が丹波に兵をあげ、京都に攻め上がってきた時、内光は細川高国の軍に加わり、防戦したが、大永7年(1527)2月13日、恵勝寺合戦で討死にした。現存刀も物打ちより少し下に切り込みが残り、奮戦の跡をとどめている。その後、友軍だった畑山卜山が、その菩提を弔うため、三日月宗近を高野山に納めた。そして元の名を”五阿弥切り”という、ということが徳川家の記録にあるという。
しかし、徳川将軍家の「御腰物台帳」に、そんな記事は一切ない。畑山卜山とは畑山尚順のことであるが、卜山は内光より五年前、つまり大永2年(1522)7月17日に死去している。しかし、「野史」では誤って卜山の死を、天文3年(1534)としているから、以上の話は「野史」の説を信じて作った、後人の創作ということになる。
通説としては、もと豊臣秀吉の正室:高台院所持で、一度、侍臣の山中鹿之助が拝領していたが、再び高台院のもとに戻ったものという。その山中鹿之助は、もちろん尼子氏の忠臣のそれとは、同名異人である。江州甲賀郡山中(滋賀県甲賀郡土山町)出身の山中山城守長俊は、秀吉に仕え一万石を給せられていた。鹿之助はその一族であろうか。この刀が高台院のもとに戻ってきた事情は不明であるが、本家の長俊は関ヶ原の役で、その養子の紀伊守幸俊は、大坂落城により没落しているから、そのことと関連がありそうである。
異説として古い「享保名物帳」には山中鹿之助と毛利大膳大夫のもと家来としている。毛利大膳大夫とは、毛利元就の長男:隆元のことで、尼子氏討伐の大将だった人である。その家来の鹿之助は、のち毛利家を去って、高台院に仕えたことになるが、ほかにも毛利家の家臣に、山中姓のものがいたから、この説の可能性も多分にある。
さて、高台院が寛永元年(1624)9月6日死去すると、この遺物として、同年12月13日、将軍秀忠に
贈られた。埋忠家ではいつこれを拝見したのか、「埋忠銘鑑」にその押形を載せているが、現存している三日月宗近の特徴とは全く別物となっている。それには樋があり、銘も太刀銘で、中心の中ほどにあり、目釘孔の位置も現存刀と全く相違する。
三日月宗近はその後は、徳川将軍家に藩政時代は長く伝来し、昭和8年、国宝に指定される。鑑刀随録(今泉久雄:著 昭和12年刊)に所載し、徳川公爵家(徳川将軍家)蔵となっている。戦後、同家を出た。平成3年、渡邊誠一郎氏が東京国立博物館に寄贈されたものである。

名物帳には「御物 三日月宗近(三条) 銘有 長さ二尺六寸四分半 無代
三ケ月と申(す)子細は三ケ月形のうちのけ数々有之(に)依て名付(け)たる由。秀吉公御後室高台院殿御召仕に山中鹿之助と云者あり。此者に一度被下候事有之。常に三ケ月を信仰して武具に三ケ月を印す。御拵に三ケ月有けるは右の者所持之内拵造りし儘にて候哉。台徳院様へ高台院殿為御遺物被進三条と銘有。」

刃長2尺6寸4分5厘(約80.1cm)、反り9分2厘(2.8cm)、形状は、鎬造、庵棟、腰反り高く、小鋒詰る。鍛えは、小板目つまり、大肌交じり、地沸厚くつく。刃文は、小乱れに小足入り、匂深く小沸よくつき、刃に沿って沸と匂で半月形の打ちのけが頻りにかかる。帽子は、二重刃。茎は、生ぶ、雉子股形、先刃方を深くそぐ、鑢目不詳、目釘孔二、中一つ埋。鎺近くの佩き裏に「三条」、と二字銘がある。

三日月宗近には古い糸巻太刀の拵えがついている。柄はないが、鞘には桐と菊の金蒔絵があり、金具にはすべて三日月・雲・桐などの色絵が施されている。山中鹿之助は三日月を信仰し、自らが身につける武具に三日月を記したというから、この拵えは、鹿之助が作らせたものかも知れない。
(附)梨地菊桐紋蒔絵糸巻太刀鞘
(形状)梨地塗家紋金高蒔絵(佩表の菊に螺鈿入)。金具(足金物二個)赤銅魚子地高彫色絵、金小縁、雲形・桐紋散。太鼓金、赤銅魚子地雲形。三日月高彫色絵。柏葉・鐺欠。渡巻下地、紺地金襴、茶糸平巻。 (法量)長さ85.4cm (時代)江戸時代初期、17世紀

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

 

(法量)
長さ 2尺6寸4分(80.0cm)
反り 9分2厘(2.8cm)
元幅 9分4厘(2.85cm)
先幅 4分6厘(1.4cm)
元重ね 2分弱(0.6cm)
先重ね 1分弱(0.3cm)
鋒長さ 6分6厘(2.0cm)
茎長さ 6寸1分8厘(18.7cm)
茎反り 7厘(0.2cm)

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