鳴狐(なきぎつね)

  • 指定:重要文化財
  • 太刀 銘 左兵衛尉藤原国吉 (号:鳴狐)
  • 東京国立博物館蔵
  • 長さ 1尺7寸8分2厘(54.0cm)
  • 反り 5分3厘(1.6cm)

粟田口国吉作の大脇指で、初め播州姫路藩士の石黒甚右衛門という馬術の名人が所持していた。のち上州館林藩主:秋元家の伝来となる。異名の由来は不明であるが、刃長1尺7寸8分(約53.9cm)、平造、真の棟、表裏に棒樋をかく。地鉄は小板目肌に地沸えつく。刃文は小沸え出来の中直刃で、小足や二重刃入る。帽子は乱れこんで、深く返る。中心はうぶ、反りがあって、鑢目は勝手下がり、銘は「左兵衛尉藤原国吉」と大振りに切る。

粟田口国吉は則国の子と伝えられ、官位は左兵衛尉に任じらている。国吉の子あるいは弟子と伝えられる刀工に藤四郎吉光がおり、また、弟には国光がいる。国吉の活躍年代は実存するものや押形に建治4年、弘安3・6・10年などの紀年銘があって明らかとなっている。現存する作品は短刀が比較的多く見られ、他に剣が数振と太刀二振がある。鳴狐のような大平造の打刀は鎌倉時代に於いて、国吉のみでなく他の刀工にも類例がない。平造打刀の様式は早くは平安末期に中尊寺の藤原清衡棺中刀や島津家に伝来した「名物:高巣三条」があり、時代が降っては南北朝期の長船兼光・長船盛景らに僅かにみられる。こういった平造打刀は当時ある程度普及していたものであるが、絵巻では多くの武士なかでも軽輩の差料であったといわれており、一流刀工の作は少なく消耗品的に扱われた可能性が高く、この鳴狐は高位の武士の特注により製作されたものといわれている。

秋元家はもと関東管領:上杉憲政に仕えていたが、憲政は管領職を上杉謙信に譲ってしまい、やがてお家断絶となったので、秋元家の藩祖:秋元長朝は、文禄元年(1592)、徳川家康に臣事、やがて上野国惣社(群馬県前橋市)において一万石をはむ身となった。子孫は累進して六万石となり、四代:喬朝、七代:凉朝は老中にまでかけ登った。八代:永朝は愛刀家で、新々刀の祖:水心子正秀を召し抱え、水心子を相手に自らも刀を造ったし、金工:佐野直好の手解きで、彫金の術を学んだほどの凝り性だった。歴代将軍の覚えも目出度かったので、拝領物も多かった。

秋元家の蔵刀は昭和6年5月4日に売立が行われたが、鳴狐は売立目録には載っておらず、競売以前に秋元家を出たものとみえる。鳴狐は昭和6年1月19日、斎藤茂一郎氏の名義で重要文化財(旧国宝)に指定される。ただし、鑑刀随録(今泉久雄:著 昭和12年刊)に所載するも、未だ秋元子爵家蔵となっている。平成3年、渡邊誠一郎氏が東京国立博物館に寄贈されたものである。
(附) 梨地葵紋金貝蒔絵刀筒
(形状)印籠口となり口部を太く、頭・鐺方へ細くなる形の刀筒で、梨地に家紋を金銀の蒔絵と金貝で表し、小縁を黒漆塗唐草文蒔絵とする。 (法量)80.7cm (時代)江戸時代、19世紀。

なお、余談ながら、鳴狐は稀代の偽銘切師である鍛冶平こと細田平次郎直光の「鍛冶平押形」に所載するのは誠に驚嘆というほかにない。当時、秋元家にあった鳴狐を鍛冶平がどのようにして押形を採取したのかは全くの謎である。
鍛冶平押形には「館林様御物 号鳴狐 慶応三卯六月廿五日一覧 刃長サ壱尺七九分」とある。
細田平次郎直光(鍛冶平)は、大慶直胤、或いは、次郎太郎直勝の門人で、一流刀工ではなかったが、鍛冶平を有名にしたのは他でもなく、皮肉にも偽銘を切ることであった。しかも、偽銘の切り方が巧みであった。鍛冶平は、いろいろな刀工の偽銘を切り、また時には銘鑑にもない、位の低い刀工の銘まで切っている。鍛冶平は、刀工としては珍しく刀剣研究に熱心な人であって、遺された押形資料の多さは、鍛冶平の集めた押形集によってもよく分かるが、その努力は大変なものであったと推察される。
押形のなかには、大名刀「名物鳴狐国吉」の押形があり、「慶応三卯六月廿五日一覧(元治本上巻)」とあり、全身押形まで取っている。どうして、このような名刀を、一刀工にすぎない鍛冶平に見ることができたかであるが、秋元家の御抱研師の手元に、次研にでも上がっていたのだろうか。秋元家でさえ、直に手に取って見れるものではない。本阿弥家はむろんのこと、よほどの刀剣愛好家でさえも、この時代には、押形までは取ることをしないのに、若い一介の刀工でしかない鍛冶平が、この名刀の押形を取っていることは、鍛冶平の無類の研究熱心さと、鍛冶平のその意味での偉さを物語っている。「鳴狐国吉」を手に取り、押形も取って、自らも刀匠として、このような名刀を造りたいと、夢にも見、また希望に胸をふくらまさせたことであろう。この鍛冶平が、時世とはいえ、後年に長曽弥虎徹をはじめとする多くの偽作を造る「偽銘切り」になるとは、本人も思ってみないことだったであろう。
文久・元治両本の押形は、明らかに研究のために、一生懸命取ったもので、必ずしも偽作を造るために集めた資料ではない。ただ、これが後年に数多の刀剣鑑定家を悩ます巧みな偽作を造るうえに、大変役立つことになったことは確かである。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 1尺7寸8分2厘(54.0cm)
反り 5分3厘(1.6cm)
元幅 9分6厘(2.9cm)
元重ね 元重ね 2分5厘(0.75cm)
茎長さ 4寸7分5厘(14.4cm)
茎反り 僅か

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