日光一文字(にっこういちもんじ)

  • 指定:国宝
  • 太刀 無銘 福岡一文字 (名物:日光一文字)
  • 福岡市博物館蔵
  • 長さ 2尺2寸4分弱(67.87cm)
  • 反り 8分弱(2.42cm)

 

 

日光一文字は備前福岡一文字作の刀で「享保名物帳」に所載する。初め、日光権現、つまり現在の二荒山の宝刀だったのを小田原城主:北条早雲が申し受けた。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原城攻めのさい、黒田如水が講和の斡旋に乗り出した。城内にきた如水に、北条氏政から、または氏直から、「東鑑」の一部と白貝とともに日光一文字を贈った。そのとき、日光一文字の入れてあった葡萄模様蒔絵、黒漆塗りの刀箱は、現在まで伝来している。本阿弥家の折紙は付いていないが、本阿弥光由は千貫以上の折紙がつくと言っていた。昭和8年国宝指定。

日光一文字の打刀拵を、黒田忠之が埋忠明寿に依頼したときの書状には、黒田家の名物「圧し切り長谷部」と少しも違わないように、鎺は上下とも印子(中国から輸入した純度の高い金)の無垢で上貝は桐の透し、切羽は印子で小刻み、縁は赤銅のごめん縁、頭は角、鞘は藍鮫、栗形と返り角は角、鵐目は印子、鐺は真鍮の腐らかし。ただし、目貫・笄・小柄は黒田家から提供するとなっており、現在もこの拵えがついている。

名物帳には「松平筑前守殿 日光一文字 無銘 長さ弐尺弐寸四分 無代
日光権現に納りて有りしを小田原北条早雲長氏申落して所持す。氏綱、氏康、氏政迄伝る。小田原陣黒田如水老噯(あつかい:扱い、骨を折ること)和たん(談)になり、依之為札此刀并(に)東鑑之正本、白貝(陣貝)を遣す。長氏より五代目は氏直也。是を小田原北条五代と申也。関八州を領す。」

形状は、鎬造り、庵棟、身幅は元先ともに広く、腰反りやや高く、踏張りつき猪首鋒の堂々とした太刀である。鍛えは、小板目肌つみ、地沸細かによくついて肌立ちごころに乱れ映り立つ。刃文は、上半は匂出来の重花丁子を華やかに焼き、蛙子丁子、飛焼が交じり、下半の小丁子乱れとなり、足。葉しきりに入り、匂口締まりごころに冴える。帽子は、乱れ込んで浅く返る。茎は生ぶで雉子股形につくり、先浅い栗尻、鑢目筋違、目釘孔三、無銘。
身幅、先幅ともに広く、猪首鋒の力強い姿は鎌倉時代中期に流行した姿であるが、重花丁子を交じえた極めて華麗な刃文は備前一文字派の得意の刃文である。この太刀は作者を明らかにしないが華やかな丁子乱れを行った一文字派の名工の手になるもので格調が高い。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 2尺2寸4分弱(67.87cm)
反り 8分弱(2.42cm)
元幅 1寸6厘(3.21cm)
先幅 7分4厘(2.24cm)
元重ね 2分2厘(0.67cm)
先重ね 1分5厘(0.45cm)
鋒長さ 1寸6厘(3.21cm)
茎長さ 6寸4分弱(19.39cm)
茎反り 僅か