小夜左文字(さよさもんじ)

  • 指定:重要文化財
  • 短刀 銘 左 筑州住 (名物:小夜左文字)
  • 長さ 8寸9厘(24.5cm)
  • 反り 僅かに反りつく

 

 

小夜左文字は筑前の左文字作の短刀で「享保名物帳」に所載する。遠州にいた浪人の死後、形見の左文字の短刀をその妻が掛川(静岡県掛川市)に売りに行く途中、小夜の中山で浪人者に短刀を奪われた上、殺された。妻が残した1,2歳の幼児は、妻の妹が引き取り養育した。15,6歳のとき、掛川の研屋に弟子入りした。ある日、浪人者が短刀の研ぎを依頼に来て、これは小夜の中山で女から奪い取ったもので、後腐れのないよう、その女も殺した、と自慢気に話した。弟子は、かねて叔母から聞いていた話と一致するので、母殺しの犯人と即断した。そんな訳のある短刀なら、私にも見せて下さい、と、その短刀を受け取るなり、浪人者に飛びかかり刺し殺した。
時の掛川領主:山内一豊は、その敵討ちの美談を耳にすると、早速その短刀を召し上げた。その後、細川幽斎が入手し、「年たけてまた超ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」(年老いてから、この山をまた超えることができる〈旅ができる〉と思っただろうか、いや思いはしなかった。小夜の中山を越えることができるのは、命があるからこそだなぁ。)という西行の歌に因んで「小夜左文字」と命名した。母親が遭難したのは金谷(静岡県榛原郡金谷町)の山中、とする説もあるが、小夜の中山は、金谷から掛川へ越す途中にあるから、さほど違いはない。その後、黒田家・浅野家を経て、土井家に入った。同家が寛文5年(1665)6月、本阿弥家に送り、千五百貫の折紙をつけた。折紙の内容は下記の通りに記されている。
「小夜左文字 正真 長サ八寸壱分有之 代千五百貫 寛文五年六月三日 本阿(花押)(光温)」
さらに同家を出て、「享保名物帳」の書かれた享保(1716)年中には、京都の豪商のうちにあった。昭和の初め、刀匠:柴田果が入手、同11年、重要美術品に認定、戦後は重要文化財に指定されている。

名物帳には「京都 小夜(中山)左文字 銘有 長さ八寸八分 代 千五百貫
光甫覚書には元幽斎老御所持。三斎老へ伝る。其節玄旨老も御存命也。能因法師の命なりけりの歌の心を以(て)御秘蔵にて御名付とあり。一説(に)は遠州に浪人有しが死後に一、二才の男子有。後家金谷へ此脇指を売りに行けるが小夜中山にて切られ死す。脇差も失る。母の妹男子を養育して常に右之趣を語る。成人の後掛川の研屋へ弟子に遣す。或時浪人躰の者来(たり)て左文字脇指の研を頼む。其者語りけるは何年巳前小夜にて女壱人此脇指を持来る。奪ひ取しが後日無心元殺しけると云(う)。右脇指を見る躰にもてなし即座に母の敵を討(つ)。其頃は掛川城主は山内対馬守殿也。右之趣御聞届(け)被召出けるとか。脇指は則(ち)対馬守殿へ上る。後黒田の御家にも有。浅野但馬守殿にも有。又土井大炊頭殿に有之、京都町人の方に今有り。寛文七には五百貫也。年たけて又こゆへしとおもひきやいのちなりけり小夜の中山」

形状は、平造、三つ棟、寸の割に身幅広く、極く浅く反り付き、常の左文字の作に比してやや大振りである。鍛えは、板目に杢交じり、処々大きく流れ、地沸よくつき、地景入り、地斑交じり、冴える。刃文は、焼幅広く、浅くのたれ調に互の目まじり、処々互の目の頭が尖り、総じて匂い深く、光のつよい輝く沸よくつき、砂流し顕著にかかり、金筋入り、区際を大きく焼込む。帽子は、乱れ込み、突き上げて尖り、さかんに掃掛け、返りを深く焼下げ、表の返りはめだって締まる。茎は生ぶ、先浅い栗尻、鑢目大筋違、目釘孔一(瓢簞形)
地刃健全な名品で、冴えた地がね・匂口の明るい刃文・力強い帽子・区下の焼込みなど、特色を具現し典型的であるが、刃中の砂流しがかなり目立つのと7寸台の小振りな体配が多い同作中にあって大柄な姿態を呈している点が常とやや相違し、それだけに一層溌剌として力感に溢れている。帽子の返りが刃方の匂幅に比して極度に締まるのは同工によく見受けるところで、また銘字を表は中央に「左」、裏はやや棟寄りに「筑州住」と切るのも手癖である。

左文字は「大左」と通称され、銘文の「左」は左衛門三郎の略といわれる。それまでの九州の作風といえば、地刃が沈んで鄙びる直刃調のものが伝統であったが、左文字はそれを一新して刃白く地青く、ともに澄んで冴えわたり垢ぬけて独創的な、それまでの九州物に前例がない乱刃の作域を生み出しており、後々の刀工にも大きな影響を与えている。紀年銘のあるものでは僅かに暦応2年の短刀が数口知られており、これらは父祖の実阿・西蓮の作風の踏襲の域を出ないものであることから初期作とみられる。左文字のいわゆる大左ぶりへの脱皮の時期については、弟子の左行弘に大左さながらの乱出来を示した作が存在し、これに観応元年紀があることにより、暦応以降で観応以前といわれている。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

 

 

(法量)
長さ 8寸9厘(24.5cm)
反り 僅かに反りつく
元幅 7分9厘(2.4cm)
元重ね 1分6厘強(0.5cm強)
茎長さ 3寸3分7厘弱(10.2cm)
茎反り 6厘強(0.2cm)