信濃藤四郎(しなのとうしろう)

  • 指定:重要文化財
  • 短刀 銘 吉光 (名物:信濃藤四郎)
  • 致道博物館蔵
  • 長さ 8寸2分半(25.0cm)
  • 反り 内反り

 

「享保名物帳」に所載する、粟田口吉光の短刀で、もと老中:永井信濃守尚政が所持し、のち徳川将軍家へ献上された。永井信濃守尚政は徳川家康の家臣で、関ヶ原合戦に参加する。慶長10年4月16日信濃守を叙任する。元和8年、月老中となり、寛永10年3月、淀城主となる。寛文8年9月11日、82歳で死去する。寛永10年(1633)12月5日、将軍家光の養女:大姫(水戸頼房の息女)が、加賀藩の世子:光高に入輿したので、同月25日、御礼言上のため登城したところ、将軍より太郎作正宗の刀とともに、信濃藤四郎を下賜された。

前田家はその前年(1632)8月、城下の薬種商:喜多村屋から、千両の借金をした記録が残っているほど、財政的には苦しかった。それで寛永13年(1636)9月、この短刀を、羽州鶴岡藩主:酒井忠勝に内々で売却した。しかし、そのことは将軍家を憚って、「享保名物帳」にも記載されていない。以後、酒井家に伝来した。本阿弥家の五百枚の折紙付き、現在は重要文化財に指定される。

名物帳には「酒井左衛門尉殿 信濃(藤四郎) 銘有 長さ八寸弐分 代金五百枚
表裏護摩箸。中心すりたる物也。永井信濃守殿所持」

形状は、平造、三ツ棟、重ねやや厚い。鍛えは、小板目つみ、地沸つく。刃文は、中直刃、匂口締まりごころに、小沸よくつき冴える。帽子は、小丸、先僅かに掃きかける。彫物は、表裏に護摩箸。茎は、生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔2、内1つ埋める。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 8寸2分半(25.0cm)
反り 内反り
元幅 7分8厘(2.36cm)
元重ね 2分2厘(0.67cm)
茎長さ 3寸6分(11.2cm)
茎反り なし

日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋のTOPへ戻る