刀剣収集が好きだった父が亡くなり、葬儀や役所の手続きも済み一月がたった頃でした。そろそろ、遺した品物を整理しようということになり、つるぎの屋さんに電話しました。その日は、電話で訪問買取に来てもらう日時を相談して、平日は私も仕事のため、土曜日の午後に群馬県まで来てもらいました。刀には拵・登録証・鑑定書がありましたが、一点一点と順番に刀を並べて、それぞれに拵・登録証・鑑定書・刀袋を確認しながら並べていらっしゃいました。登録証の長さと銘文、鑑定書の銘文、拵には刀身を実際に入れて念入りに確認して下さいました。刀と登録証・鑑定書を別々に保管していたもので合わせるのが大変だったようですが、全ての刀にきちんと登録証がついてありましたもので安堵しました。店主さんと息子さんのお二人がそれぞれに査定額を算出されていましたが、驚いたことに価格は10~20%の差異しかありませんでした。業者間の相場を参考に算出されていたそうでしたが、これには本当に驚かされると同時に、さすがにプロフェッショナルのその査定額には安心感が感じられました。刀には購入当時の領収書がついているものもありまして、店主さんに「30年ほど前に購入した」旨を伝えると、「あの頃ですと、○○万円くらいで購入されているのではないですか?」とおっしゃっていましたが、その値段がズバリ正確で再び驚かされました。現在の価格はもちろんですが、30年前当時の購入価格までが分かってしまうとは、この道に45年という店主さんの知識にはだ脱帽する思いでした。骨董の世界というのは値段があってないものだということを聞いたことがありましたが、きちんとした相場を知ってらっしゃる方でした。父の部屋にはたくさんの刀剣などの骨董品がありましたが、一気に全ての品物が無くなってしまうのは寂しい気がしていました。私の家には子どもは女の子ばかりですので、刀剣を遺しても受け継いでくれる男子はいません。そのことを伝えると、中身が入っていない拵がいくつかあったのですが、それを子どもたちに遺されるという案を教えてくれました。確かに、拵でしたら刀剣のように油を引く必要はありませんし、注意をすれば扱いも簡単と言えます。子どもたちが祖父の記憶を留めていてくれるように、店主さんの提案に賛成し、3人にそれぞれ拵を遺しました。処分を検討している時には、全部一気にと思っていましたが、いざとなるとやはり寂しいものです。子どもたちが大きくなるまでは拵を遺したいと思いますが、また、拵も処分しなければならない時にはつるぎの屋さんにご連絡したいと考えています。

群馬県の旧国名は、上野国といいます。東山道の国名で、現在の群馬県、上古の毛野(けぬ)国を上・下の二国に分けたさいの上毛野(かみつけぬ)国、これが音便でコウツケとなりました。さらに後世は濁ってコウヅケと発音します。豊後の紀新大夫行平が上野国利根庄に流罪になった、という伝説があります。室町期の天文(1532)になって、憲重が出現しました。さらに天正(1573)にくだると、その一門に綱重・常重・正重・守重など、数工が輩出されました。新刀期には、吾妻郡中之条の蟻川政吉は、京都の伊賀守金道と師弟の約を結んでいました。

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