いつもお世話になっております。茨城県のSです。私の家には昔から日本刀がありまして、茨城県は剣道が盛んなところなもので私も剣道と居合いを少し嗜んでおりました。そんなところから、私の趣味は日本刀の収集をして、数は多くはありませんで自分の愛刀を夜に時間を見つけては眺めたり手入れをして楽しんでおります。もちろん、観賞用と実際に居合いで振る刀は分けておりますので、少しずつではありますが収集した刀も10振近くなってきました。
つるぎの屋の冥賀さんとは毎秋に東京で行われる大刀剣市で知り合ってからのお付き合いです。つるぎの屋さんで初めて購入した刀は、私の郷土刀になる水戸徳勝の短刀で柾目鍛えがそれは綺麗な地鉄でコレクションの中でもお気に入りの一つとなっています。私も公務員なもので購入するときには何か下取りをお願いしてますが、初めの時から他店で購入したものでも下に取ってくれるのは有難いですね。毎年、大刀剣市に行くとつるぎの屋さんのブースに初めに挨拶に行き、購入した徳勝の短刀の話をして、いまも大切にしていることを伝えるとご主人がいつも本当に喜んでくださいます。ご主人のお話では「刀剣商にとって刀を売るということは、自分の娘を嫁に出すのと同じこと」といつもおっしゃってます。だから、刀身を綺麗な状態にして、嫁ぐ娘に新しい着物を仕立てるように刀袋も良いものに替えてからお客さんに納めているそうです。お客さんのところで刀が大切にされている話を聞くと本当に嬉しいそうで、この方は本当に刀が好きな方なんだなあと思います。
先日、私の居合いの先輩が高齢を理由にお持ちの刀剣を手放すという相談を受けました。お子さんはご子息もいらっしゃるのですが残念ながら刀に興味が無いということでした。まだ誰にも話されていないそうで、私に初めに相談されたそうで、先輩は私に全てを引き取ってもらえればということでしたが、本数もかなりの数なので金銭的にも無理と説明しました。すると、先輩は金額よりも大切にしてくれる人に譲りたいということであったので、私の方で居合いに使えそうな刀を2本ばかりは譲ってもらうことにしました。しかし、それでも残った刀も結構な数であったので、これはプロの刀剣商の方に相談してみなければという結論に至りました。
茨城県内の刀剣商さんを探してみようと思いましたが、茨城県内には刀剣商は意外と少ないです。そこで、早速につるぎの屋さんに電話で相談してみると快く引き受けてくれました。後日に、私が先輩から刀を預かって東京のつるぎの屋に見てもらうと、居合に使用していた刀なので、物打ちの辺りには複数のヒケ傷があるのが多いので値段的にも安くなってしまうと先輩とも話していました。しかし、長めの刀はやはり居合をする方に需要があり、試し切りをする方はどうしてもヒケ傷が入ってしまうので現状でもそれほど減額にはならないということでした。買取の金額も私と先輩の予想よりも高額であったので、先輩に良い報告をすることが出来て嬉しく思いました。

茨城県の旧国名は、常陸国と下総国といいます。
常陸国は東海道の一国で、現在の茨城県にあたり、古くは常道・常土とも書き、常州とも略します。
刀工は、室町期に入ると、奥州月山派の兼広が信太郎郡東条庄高田、現在の茨城県稲敷郡江戸崎町高田に移住してきました。室町末期の高田住英定は月山を名乗らないから、別派でしょう。古え国府のあった茨城郡茨城郷府中、現在の茨城県石岡市には、吉貞が居住しました。
新刀期になると徳川頼房の入国によって、大藩となり、刀剣の需要もましたので、奇人刀工:大村加卜や、その門人である卜伝が御用鍛冶となりました。幕末になると藩主:斉昭が自らも鍛刀したので、刀工が雲のごとく輩出しました。そのうち、徳宗系が最大の派閥で、徳勝は石堂伝の丁子乱れが上手でした。助政系は大坂の尾崎助隆門で、代々祖業を継承しました。そのほか、藩士の長矩系から出た徳隣も、助隆の門に入り、腕を磨きました。大慶直胤も招かれて駐槌しています。
装剣具は、二代:徳川光圀の治世になってから、その名を軍地功阿弥といい、通称は与五郎、後藤石乗の門人でありました。明石予太夫を水戸金工の祖、とする説があるが、時代的に功阿弥が一世代古くなります。なお、功阿弥の門人:谷田部通寿を、「水戸彫中興開山」と称するのは、通寿が奈良利寿に学び、高低の差が大きく、勇健に見える水戸彫りの先駆者になったからです。通寿の門人に玉川承寿・同美久の両人があり、多くの門弟を養成しました。打越弘寿は前者、海野盛寿は後者の出身です。
つぎに大派閥を形成したのは、赤城軒派です。初代は享保(1716)ごろ、横谷宗与の門人で、二代の元孚は奈良派の模作に長じていたので、その無銘物には、横谷または奈良派の真作で通っているものが多いです。この一門から、栄寿・元儔・元貞・政春ほか、多くの金工が出ています。
つぎに栄えたのは一柳系です。初代の友善は、功阿弥と土屋安親に師事した篠崎保平の門人で、宝暦(1751)ごろの人で、子孫は友善を襲名し、幕末まで四代続きました。保平の子で、友善に師事した篠崎勝国、そのほか、海野勝珉の師:萩谷勝平、筑後の有馬藩のお抱え江川(桂)宗麟など、幕末には水戸金工が大いに活躍しました。
下総国は東海道十五カ国の一つで、もと総(ふさ)の国の南を上つ総、北を下つ総と二分したもので、したがって北総ともいいます。現在の匝瑳・海上・香取・印旛・千葉・葛飾の六郡は千葉県、猿島・結城・相馬の三郡は、茨城県になっています。刀工は新刀期には、越前康継が葛飾郡関宿に駐槌、松葉本行が葛飾郡古河城下へ移住してきました。新々刀期になると、古河藩工に泰龍斎宗寛、佐倉藩工に細川忠義・忠正の名が知られています。

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