私は栃木県佐野市に在住しておりますが、この度は地元の友人につるぎの屋の冥賀さんをご紹介して下さいましたご縁で出張買取を依頼しました。お名前は以前より存じ上げておりましたが、冥賀さんも佐野がご郷里というご縁もあり早速にご連絡しました。お電話さしあげると、現在でも月に一度は佐野市に何らかのご用事で帰省されているということでしたので、私の方の日程とも調整して当方まで出張買取とお願いすることになりました。佐野も電車ですとなかなか不便ではありますが、車ですと東北自動車道を利用して道が順調であれば1時間かかるかかからないか位で便利になったものです。
栃木県の有名な刀工では細川正義がいます。他には、現在の宇都宮市に徳次郎鍛冶がいますが地元でもなかなかお目にかかれません。最近、市町村合併により佐野市になりました阿蘇郡閑馬の出身の栗原彦三郎昭秀も地元ではお持ちの方を知っています。
昔から我が家にはもともと武士だったということもあって、大小の拵にはいった日本刀や脇差しがありました。栃木県佐野市は江戸時代には彦根藩井伊家の飛び地だったそうですが、桜田門外の変で暗殺されてしまった井伊直弼公のお墓も佐野市の天応寺にあります。私も一度訪れたことがありますが井伊直弼公のお墓は、墓地の敷地でも一番奥の高台にあってやはり大名のお墓というだけあって立派なものでした。井伊直弼公は歴代の彦根藩主でただ一人だけ飛び地であった佐野を訪れてくれたそうで今でも石碑がのこされています。そういう私のご先祖様も彦根藩士と親戚だったそうで、今回の大小も彦根藩の家老様から頂戴したものということでした。大小の拵は赤い朱塗りのものでしたが、冥賀さんの説明では金具は彦根の金工が作ったものということで、やはり、彦根藩の家老様にもらったという言い伝えは正しかったようです。中身は銘のない無銘でありましたが、中身よりも拵が良いものと言ってくださいました。買取の金額も拵えとその小道具類が上物であったようで、私が思っていたよりも高額で驚きました。

栃木県の旧国名は、下野国といいます。東海道十五カ国の一つで、もと毛野(けぬ)国といったのを、東を下(しもつ)毛野国、西を上(かみつ)毛野国と二分したもので、現在の栃木県にあたり、野州ともよびます。大進房祐慶は日光の二荒山神社の僧というが、伝説の域を出ません。足利学校ある足利には、天文(1532)のころ、勝重や安但がいたし、天正(1573)になると堀川国広が駐槌しました。永禄(1558)、得次郎(とくじら)(宇都宮市内)に、勝重・守勝・守重らがいて、得次郎物と呼ばれました。新刀期には見るべき刀工はいませんが、新々刀期になると、鹿沼から細川正義が出て、巨匠と謳われました。

【栃木県の買取対応エリア】
宇都宮市、足利市、栃木市、佐野市、鹿沼市、日光市、小山市、真岡市、大田原市、矢板市、那須塩原市、さくら市、那須烏山市、下野市、河内郡、上三川町、上河内町、河内町、上都賀郡、西方町、芳賀郡、二宮町、益子町、茂木町、市貝町、芳賀町、下都賀郡、壬生町、野木町、大平町、藤岡町、岩舟町、都賀町、塩谷郡、塩谷町、高根沢町、 那須郡、那須町、那珂川町

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