私は熊本県に住んでおりますMと申します。熊本城の近くに刀剣商を営まれる方もおられたようで、だいぶ昔になりますが子供の頃には骨董好きの父に連れられてはよく行ったものでした。骨董店に一度入ると2~3時間はお店に滞在するのが常でありました。父が残した地元・熊本の郷土刀や肥後鐔をどうしたら良いものかと思案しておりましたが、なかなか刀や鐔の品物を持って移動するのも初めてなことですので重い腰があがりませんでした。
そこで最近は便利になったものでインターネットで「日本刀の買取」を行っているお店を検索すると「日本刀買取専門店つるぎの屋」さんが見つかりました。お店のホームページを見てみると、熊本の郷土刀や肥後鐔も扱われていらっしゃるようでしたので、それならということで早速に電話で問い合わせてみることにしました。
お電話に出られたのは店主さんのようでした。父の残した郷土刀や肥後鐔を入手した経緯や状態をご説明していると、そのほとんどをご存知で直ぐに明確にお答えくださったのに驚きました。そして、造詣が深いとともに、お話しているとこの方は本当に刀剣が好きなんだなぁ、というのが電話越しに伝わってきました。同じ刀に骨董道楽であった父を思い出して少し嬉しくなりました。
父が残した刀には松村昌直という刀工の品がありました。この人は熊本藩士で知行二百石の身でありながら、聡明であったようで少年の身で薩摩に遊学、漢学を学んだりしています。教養をかわれて、郡代・勘定所目付・町奉行などの要職を歴任しています。刀鍛冶の業は薩摩遊学中に、伯耆守正幸に師事し、藩主の参勤交代のお伴で江戸詰めの時に水心子正秀にも学んだそうです。
今回、つるぎの屋さんにお願いすることになった松村昌直の刀は父が地元の熊本で求めたもので制作当時の肥後拵がついているのをよく自慢して友人に話していたのをよく覚えております。店主さんのお話しでは肥後の拵や鐔は人気が高いということでお値段も地元で売却するよりも良いお値段をつけてくださったと思います。父の残した刀や鐔が好きな趣味の方の手に渡り、これからも大切にしていただければと思います。

熊本県の旧国名は、肥後国といいます。九州のほぼ中央にある国で、略して古刀期の刀工は、単に「肥州」とも銘に切りますが、それでは隣国の肥前との区別ができないので、新々刀期の刀工は「東肥」とも切ります。肥後刀工史は、玉名郡南関町大字江田の船山古墳から発掘された、銀象嵌のある太刀から始まり、鎌倉末期から南北朝期にわたる、延寿鍛冶の活躍によって、最高潮に達しました。室町期には末延寿派と石貫派が活躍し、桃山期になると同田貫派が台頭してきました。
寛文(1661)ごろ、再び河内守永国や越前守国次の槌音が、熊本城下に響き渡りました。幕末になると、藩士が奮起して、いわゆる侍鍛冶になりました。そのうち沼田直宗(有宗)・松村昌直・大槻清輝らは、刀剣書さえ著しています。専門工では、延寿末葉の国秀や同田貫の子孫の宗広が、非凡な手腕を発揮しています。
装剣工としては、細川家の入国によって、林又七・平田彦三・西垣勘四郎・志水甚五、さらに遅れて神吉寿平らの諸流が競いおこり、いわゆる肥後物の名を天下に轟かせました。さらに注目すべきは、これら装剣具を活用した、いわゆる肥後拵えが、刀剣外装の典型として流布したことであります。その背後に、刀剣鑑定の大家として細川幽斎、拵えの大家として細川三斎が、藩主として君臨していたことも忘れてはなりません。

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