愛染国俊(あいぜんくにとし)

  • 指定:重要文化財
  • 短刀 銘 国俊 (名物:愛染国俊)
  • 長さ 9寸5分余(28.79cm)
  • 反り 8厘(0.24cm)

 

 

愛染国俊は二字国俊作の在銘の短刀で、「享保名物帳」に所載する。もと豊臣秀吉所持といい、秀吉より、森蘭丸の弟:千丸、つまり農州金山城主:森忠政に与えられた。「本阿弥光温押形」や「本阿弥光柴押形」には、「森右近殿有之」とある。「本阿弥光瑳押形」には、「作州侍従ドノ所持」とある。すると、忠政が右近大夫に任じられたのは、天正13年(1585)10月6日、侍従に任じられたのは、同15年(1587)2月6日だから、前者の押形は天正13年10月より同15年2月の間、後者はそれ以後に採ったことになる。

本阿弥家の「名物控」には、将軍秀忠より忠政拝領となっているが、それでは押形との年代が合わないことになるので、「享保名物帳」編集のとき、秀吉より拝領と改めたものであろう。忠政が寛永11年(1634)7月7日に卒すると、その遺物として将軍:徳川家光に献上した。家光は養女:大姫を前田家に嫁がせた。それが産んだ初孫:犬千代丸、つまりのちの藩主:前田綱紀を、大姫が伴って正保元年(1644)2月12日、初発営したとき、家光はわずか二歳の赤ん坊に愛染国俊を授けた。赤ん坊に愛染明王の加護があるよう、祈っての親心からだったに違いない。

以後、前田家に伝来し、同家の記録にも、「御拝領名物 愛染国俊 銘有 九寸五分 百枚代付」とある。昭和10年、国宝に指定され、戦後に同家を出て、現在は重要文化財に指定されている。

名物帳には「松平加賀守殿 愛染国俊 (二字銘)銘有 長さ九寸五分 代金百枚
秀吉公之御物也。森美作守殿拝領。其後為遺物上る。家光公より加州御家へ被下。綱利公初て御目見之時拝領共、其刻利常卿より御譲り共申伝也。表釼、裏棒樋并(に)添樋、中心表に愛染之彫物有之。」

来国行の子と伝える国俊については、現存する作には、銘字に「来」の字を冠しない所謂二字国俊と、「来国俊」三字銘にきるものとがある。二字国俊と来国俊の製作年紀を合わせると弘安元年(1278)から元亨元年(1321)に及んでおり、この間約40年、一刀工の作刀期間と考えても無理な年数ではなく、しかも来国俊の太刀に正和4年(1278)紀をきって、歳七十五と行年を添えたものがあり、これから逆算すれば二字国俊唯一の年紀作の弘安元年は38歳になり、ここにも無理は生じない。しかしながら、作風的にはある程度相違を見せ、その区分が可能であることから、同人・別人の両説があって、向後の研究に俟つべきものがある。一般に、二字国俊の作風は華やかな丁子主調で備前気質のあらわれたものであるが、沸主調の焼刃である点や映りが沸映りであること、また主に佩表の刃中に足が備前とは逆に中心の方に向けて斜めに入る、所謂「京逆足」となるところなどに特徴を見出すことが出来る。

愛染国俊は長さ9寸5分余(28.79cm)、反り8厘(0.24cm)、形状は、平造、庵棟、身幅広く大振、僅に反る。鍛えは、小板目つみ、地沸こまかにつき、地沸映りになる。刃文は、のたれに互の目、尖り刃交じり、小足入り、匂深く、小沸つく。帽子は、乱れ込んで先尖りごころに返る。彫物は、表素剣、裏刀樋に添樋。茎は、生ぶ、先刃上り栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔二。鎺下に愛染明王像を線刻し、その下に国俊とやや大振りの二字銘を切る。

来国俊には在銘の短刀がまま見受けられ、二字国俊の在銘の短刀は愛染国俊が唯一となっていた。しかし、近年になり他にもう一振りの「国俊」二字在銘の短刀が発見されている。

愛染国俊の茎にみられる愛染明王の毛彫は、刀剣における修験道装飾の最たるものとされている。修験道美術の特色をなすものに、懸仏といわれるものがあり、これは鏡が本来神社の御神体であったものが、本地垂迹思想から、御神体である鏡の背面に、その神の本地仏を毛彫するようになったものである。毛彫のもののほか、鑄出仏、押出物を作って鏡の背面に密着させるものもある。その他、山の信仰の本地仏を鏡そのものに線刻したものもあり、これを鏡像といい、懸仏とともに御正体と呼ぶもので、優れた遺品も多い。修験に金銅仏が多いのは、修験が冶金の技術にすぐれていたことを示し、さらに金属に彫を施す技術も修験独特のものであった。この修験独特の彫技が、そのまま刀剣に残されたのが愛染国俊の茎にみられる愛染明王の毛彫であり、その金属に彫を施す技術が敷衍されて、刀身彫刻に及んだものといわれている。

愛染明王の容貌は忿怒暴悪形を示しているが、内証は敬愛をもって衆生が本来持っている愛欲煩悩を解脱させる働きを持ち煩悩即菩薩を示す明王である。愛染明王に対する信仰は平安時代以降見られるが、鎌倉期に入って一層さかんに信仰されており、中でも高野山系で多く信仰されたといわれる。修験道においても、愛染明王を崇拝対象として用いることは、本山派でも当山派でも比較的多く、なかんずく、熊野山に祀られる熊野十二社権現のうち、新宮の神倉の本地は愛染明王であり、ここの経塚からの発掘も多数みられている。また愛染明王は金剛界の大日如来ともみられている。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 9寸5分余(28.79cm)
反り 8厘(0.24cm)
元幅 9分1厘(2.76cm)
元重ね 2分(0.61cm)
茎長さ 3寸8分余(11.51cm)
茎反り なし