前田藤四郎(まえだとうしろう)

  • 指定:重要文化財
  • 短刀 銘 吉光 (名物:前田藤四郎)
  • 前田育徳会蔵
  • 長さ 8寸1分(24.5cm)
  • 反り なし

 

 

前田藤四郎は粟田口吉光作の短刀で、「享保名物帳」に所載する。初め、前田孫四郎利政が所持した。利政は前田利家の次男、能登守と称し、能州七尾城主だったが、関ヶ原の役のさい、西軍にくみし兄:利長を攻撃したため、領地を没収された。その後、京都に卜居し、寛永10年(1633)に56歳で死去した。その嫡子:三左衛門直之は、前田利常に召し返され、その死後、一万五千石を与えられ、小松城代を命じられた。こうした本家の厚遇に報いるため、この短刀を本家に献上したものであろう。

これに対して、初め利政の弟:大和守利孝が所持していた、という異説もある。利孝は元和2年(1616)、上州甘楽郡において一万四千石を幕府より与えられ、七日市藩主になった人である。ただし、この人の所持とするのは誤りのようである。本阿弥長根が文化9年(1812)3月、前田家の蔵刀のお手入れをした際の報告書にも、「前田三左衛門上る」、とある。それは鞘書きに「前田三左衛門上 延宝八年十二月代百枚上ル」、とあるに拠ったものである。代付けはその後さらに上がって、五千貫になった。現在は重要文化財に指定されている。

名物帳には「松平加賀守殿 前田(藤四郎) 銘有 長さ八寸壱分 代五千貫
前田孫四郎所持、息三左衛門より加賀宰相殿へ上る。孫四郎は利家卿御二男也。今前田近江守先祖也。」

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

 

(法量)
長さ 8寸1分(24.5cm)
反り なし
元幅 2.3cm
元重ね 0.55cm