国宝である「脇指 無銘 伝貞宗(名物徳善院貞宗)」は、織田信忠、織田秀信、太閤豊臣秀吉、五大老の一人である前田玄以、そして徳川家康と伝えられました。さらに駿河分物として紀州徳川家へと譲られたのち、寛文十一年には頼信の次男である頼純が、新家創立の際に、伊予西条藩へと持ち越した品となっています。      

長さはおよそ35.3cm(一尺六分半)、反りはおよそ0.7cm(二分三厘)で、平造り、三ツ棟。そして表には梵字、剣、爪。裏には梵字、護摩箸、爪の彫刻が確認できます。地鉄は、小杢目肌がつみよく沸えて地景多く、そして丸みのある明瞭な湯走りが表上方棟寄りに見られます。刃文は焼幅の広い湾れ乱れに、互の目乱を交えていて、激しく沸崩れているほか、帽子も子丸風で少しばかり先が尖り、一段と沸が多くなっています。生ぶ茎、目釘孔二、本来の無銘です。

この小脇指は、地鉄の鍛には当然、貞宗としての一貫したものを備えているように見受けられます。ですが刃文はこれほど華麗なものはないことから、かつては「新刀ではないか」との説が流布したこともありました。とはいえ現在では、彫刻の鋭角が強く、沸に力があり地中刃中とも整っていて十分な働きを秘めており、形は大きいとはいえ、次代南北朝期の先反小脇指とは異なっていて十分の品格を保つと言った点等から、どこをとっても貞宗だと言えるでしょう。

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