日本刀の作者としては、文献では大寳年代に刀工をしていた天國(あまくに)が最古と言われています。ですが正倉院にある御物においては、銘のあるものがなく、天國在銘のものもないので、現在では天國在銘の確かな作品はほとんど現存していません。

天慶の時代、平貞盛が平将門を追討した凱旋の際に当時の帝により賜った、後に平家重代ともなる名剣小烏丸は天國の作ではないかと伝えられていますが、銘は不明とのことです。

在銘の確かな最古のものとしては伯耆國安綱(ほうきのくにやすつな)の作品が挙げられますが、時代が明確でなく、果たして大同年間のものであるかどうか不明です。

 

日本の古代の刀剣は、古墳より出土したもの以外では、後に記述する奈良正倉院に現存するものが大部分となっています。また貢物である刀剣に関しては、全く同時代に作られた支那(現在の中国)の模倣からはじまったものが少なからずあり、その製作者のほとんどもまた支那の人間であったのではないかと推測されています。

その中でも唐様太刀は打ち切ることを主な目的として製作されており、我が国の剣術とはまた違った動きを想定しているということもあって飾太刀と称されています。

唐沢の太刀は主に文武官の朝儀の時に身に着ける形で使用されました。そののち、実際の戦いでも使われるようになるにつれ、刀身に反りを付け、鍔も敵の打込に対して、拳を防護する様式に進化し後世に伝えられました。

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