長門国のその他の刀工について
南北朝時代から室町時代にかけて、長門国では多くの刀工の名が伝わっています。『秘談抄』や『古刀銘尽大全』をはじめとする諸書には十名を超える名前が挙げられていますが、現存する作例の確認ができる刀工はごくわずかです。実物を検証できたものとしては末の安吉のほか、顕国、幸国の名が知られています。
顕国は古くから安吉の弟子と伝えられていますが、実際の作刀には瀬戸崎(現在の長門市仙崎)を居住地として銘に刻んだ例もあり、安吉の住所とされる府中とは異なります。顕国の作に見られる年紀は応永初年から文安年間にわたり、約50年間の幅があるため、複数代にわたる刀工と考えられています。
作風としては、太刀の作は少なく、比較的多く見られるのは鎬造の脇指や寸延び1の短刀です。庵棟を備えたものが多く、短刀には三ッ棟の作もあります。地鉄は板目肌で詰みの良いものや、流れごころのあるもの、まれに柾目肌2の例も見られます。
刃文は互の目や湾れを基調とした乱れ刃が多く、砂流しやほつれを伴う例もあるようです。帽子は小丸返りや突き上げごころのものがあり、掃きかけの表現も見られます。彫物には棒樋3・添樋4・二筋樋5、短刀には種子6・倶利伽羅7・不動などが施されたものも確認されています。
銘は「長州岩倉住行観 正平年紀」とする長銘や、「左衛門尉」の冠を持つもの、中央に二字で刻まれたものなどがあり、行書体で細鏨8によって刻まれています。銘振りに一貫性が乏しく、今後の研究が期待される刀工の一人です。
幸国は、『銘尽大全』の系図によると初代顕国の弟・信重の孫とされ、永享〜嘉吉頃の刀工と見られています。作例はきわめて少なく、実見されたのは脇指一口のみ。押形による記録もわずかです。
その短刀は平造で庵棟、やや寸延びで反りがついており、小板目がよく詰んだ地鉄に柾がかる箇所があり、白気9を帯びることもあります。刃文は小互の目の乱れで、小沸がつき、匂口はやや締まり、細やかなほつれや砂流しも見られます。帽子はやや深く返り、掃きかけの気配があります。
彫物としては、表に不動明王、裏に八幡大菩薩の銘を彫った例が確認されており、信仰的な性格がうかがえます。銘は「長州住幸国」と茎中央に長銘で刻まれ、顕国の銘振りに酷似しています。
【脚注】
※1 寸延び:標準よりやや長く感じられる体配
※2 柾目肌:縦方向に揃った直線的な鍛え肌
※3 棒樋:直線状に彫られた溝
※4 添樋:主樋に沿って彫られる補助的な溝
※5 二筋樋:平行に二本彫られた樋
※6 種子:梵字一字で仏を象徴する表現
※7 倶利伽羅:剣に巻き付く龍の意匠
※8 細鏨:細い鑿で刻された銘
※9 白気:地鉄が白く冴えて見える傾向
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