金剛兵衛の刀工と作風
金剛兵衛一派は、古刀期に左文字一派と系譜上のつながりをもつ流派とされています。『古刀銘尽大全』によれば、祖である盛国は左文字の始祖・高縄の子で、良西の兄弟にあたる人物です。盛国の子・盛高は良西の婿とされ、以降も「盛高」の銘が代々継承されました。
初代盛高の活動時期については、資料によって異なります。『古今銘尽』では元享から観応年間、『銘尽大全』は文応頃、『鍛冶銘早見出』では永仁頃とされ、良西の子・入西に永仁の年紀が確認されていることからも、同時期と推定されるでしょう。
『早見出』では、二代を嘉暦、三代を延文とし、応永年間に至る作も挙げられています。実物で確認されている作例としては、正平四年の年紀をもつ短刀が最古とされ、三代の作に該当するものと推測可能です。また、応永の小太刀には「大宰府住」と銘があり、当時の筑前地域での活動を示唆しています。正平二十五年(応安三年)の年紀をもつ「冷泉貞盛」銘の作もよく知られており、この「冷泉」は博多に関係する地名とのこと。室町時代には、一派の刀工が肥前や豊後に在住していた例もあり、地域的な広がりが確認されています。
この一派の銘には「盛」の字が多く見られ、『早見出』などには盛高以外の刀工も年代順に記録されています。
作風としては、地鉄に板目1が現れ、流れ肌や柾目が交じる地景2が特徴的です。ところどころに地斑3が見られ、肌立ちがあり、やや濁った地色を呈しています。刃文は細直刃4を基調とし、匂口にはややぼかしがかかり、冴えが乏しい例が多いものの、まれに明るく締まった出来のものも存在します。
茎は先幅があまり細らず、「卒塔婆頭5」と呼ばれる形状をとり、鑢目は切鑢6が一般的です。刀の姿には室町時代の作であっても反りの高い太刀姿が見られ、短刀には小振りで細身のものが多く、古典的な印象を与えています。
南北朝期の作例には、幅広で鋒の延びた太刀もあり、冷泉貞盛の作品などにその傾向が確認されています。金剛兵衛一派の作風は一定の幅を持ち、時代や刀工によって変化を見せていたと考えられます。
※1 柾目…縦方向にまっすぐ走るような鍛え肌。
※2 地景…地鉄に現れる細かな模様や構造的変化。
※3 地斑…地鉄の色合いや構造に見られるムラやまだら。
※4 細直刃…細くまっすぐな刃文のこと。
※5 卒塔婆頭…茎先の形状の一つ。幅があまり細くならず、切り立ったような形。
※6 切鑢…横方向に鑢をかけたもの。
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