国徳作とされる本刀は、長さ約68.2cm(二尺二寸五分)、反り約1.5cm(五分)。鎬造に庵棟の造りで、浅い反りと中鋒を備え、全体として端正で落ち着いた姿をしています。

鍛は、板目肌が流れて肌立ち、荒い質感を呈します。地鉄には地沸がよくつき、変化ある表情を見せます。刃文は、大きくゆるやかなのたれ1を基調に、互の目を交えた構成。匂口はやや沈みごころで、足が入り、砂流しもわずかに現れています。刃縁には小沸が均一につきつつ、ところどころに荒沸が交じり、複雑な景色を生んでいます。帽子はわずかに乱れ込み、大丸2に返り、先には掃きかけがかかっています。

茎は生ぶで、先は栗尻3、大筋違の鑢目4が施され、目釘孔は一つ。孔の下、やや棟寄りに「國徳」と大きく刻まれた二字銘が見られます。

国徳についての文献上の情報は非常に限られており、『鍛冶銘早見出』には「城州住橘國徳」「國徳作」などの記載があります。堀川派5に属し、寛永年間6頃に活動していたと推定されますが、出自や経歴、記録にある「橘」姓の由来などについては明らかになっていません。

現存作は少なく、確認されているのは刀が二振、鎬造の脇指7が一口、短刀が四口程度です。いずれも銘は「國徳」の二字で、年紀や長銘のある作例は確認されていません。なお、短刀の一口には簡素な彫物が施されたものもあります。

鍛肌や刃文の特徴には堀川物に共通する要素が見られ、技巧の確かさもうかがえますが、門下の第一線の刀工に比べると作例が少ない分、全体像は掴みにくい存在といえるでしょう。

※1 のたれ…緩やかに波打つような刃文のこと。

※2 大丸…帽子の形が大きく丸いもの。

※3 栗尻…丸みを帯びた茎の末端の形。

※4 大筋違の鑢目…斜めに交差した粗い鑢(やすり)の跡。

※5 堀川派…堀川国広を祖とする刀工の流派。

※6 寛永年間…江戸時代初期、1624~1644年頃。

※7 脇指…刀より短く短刀より長い、中型の刀剣。

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