長門国の系譜と顕国の位置づけ
長門国の系譜については、「秘談抄」系図と「古刀銘尽大全」系図の間にいくつかの相違が見られます。その他の諸書に掲載される系図は、概ねこの二系図の範囲内に収まっており、大きな逸脱はありません。
顕国の位置づけに関して両系図を比較すると、次のような違いが明らかです。
第一に、「秘談抄」では顕国を「筑前沖の浜から長門に移住した末左※1の弟子」としており、これに対して「銘尽大全」では「大左※2の子・安吉の弟子」としています。
第二に、顕国の活動時期について「秘談抄」は「一代限りで応永ごろ」と記し、その師である左は「至徳から応永ごろにかけての刀工」としています。一方、「銘尽大全」では顕国を二代に分け、初代を貞和頃、二代を応安頃とし、その師である安吉は建武頃の人物と位置づけています。
現存する顕国の作品は少なく、年紀が刻まれたものは特に限られるため、いずれの説が確実であるかを断定するのは困難です。ただし、銘鑑類や押形※3資料に基づくと、顕国という銘は応永初年頃から文安頃にかけて用いられており、この期間に代替わりがあったと推測されています。
その前提に立てば、大左の子である安吉(初代長州安吉)は正平十七年(貞治元年)前後の刀工と考えられるため、顕国との直接的な師弟関係を見なすには時代的に隔たりがあるようです。むしろ、安吉の後代、いわゆる末安吉※4との関係性が想定されるほうが年代的整合性があります。
なお、現存する顕国作の折返銘※4については、応永年紀の作品と比較してやや古様に見えるものもあり、今後の研究によってその時代比定が再考される余地があるでしょう。
※1末左:大左に対して、弟子筋または後代の系統を指す。左文字一派の下位流派とされることがある。
※2大左:南北朝期の名工「左文字」を指し、特にその中心的存在である左安吉を含む。
※3押形:刀身の形状や刃文などを墨と紙で写し取った図。刀剣の比較や記録保存に用いられる。
※4末安吉:左安吉の後代にあたる人物、あるいは流派の一部とされる。確定した個人を指すわけではなく、系譜的な位置付けで使われることが多い。
※5折返銘:大磨上げにより切断された銘を、茎の裏側に折り返して残したもの。銘の保存処置として用いられる。
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