助広(助廣)は、1657年(明暦3年)に越前守を受領しました。

はじめは楷書体で銘を記していた助広は、1630年(寛永7年)8月から裏銘を草書体に改め、1674年(延宝2年)8月からは表銘も同じく草書体に改めています。世に、楷書体の表銘のものを、「カク津田(角津田)」草書体の銘のものを「マル津田(丸津田)」と称しています。

マル津田銘の刀は、助広が1682年(天和2年)に46歳で没するまでの短い期間のみに確認できる作品であり、現在では価値を高めているといえるでしょう。

 

「刀 銘津田越前守助広 寛文十二年八月日」の長さは約74.8センチ (二尺四寸七分)反り約1.5センチ (五分)。鎬造り、庵棟、中鋒で、踏ん張りがあって比較的に反りが高いです。鍛は小板目肌がよくつんで地沸が厚くつき、明るく冴えています。刃文は得意の濤瀾を焼いて匂あくまで深く、小沸むらなく付き、足入り、明るくつき冴えた匂口です。

帽子は丸く返って尋常であり、茎は生ぶで、僅かに区送り。目釘孔は2つで、先入山形、筋違いの鑢目がつき、化粧鑢が丁寧にかけられています。茎の孔の下から棟寄りに楷書体で七字銘が見られ、裏は目釘孔からわずかに上げて、草書体で年号を切っています。

カク津田銘での刀ではありますが、寛文12年頃の助広はすでに大成の域に達しており、この刀もその代表的の一口と考えられています。

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