刀 銘 以南蠻鐵於武州江戸越前康継 慶長十九年八月吉日について
康継は、1553年に近江国(現在の滋賀県)で生まれ、関ヶ原の戦いの年である1600年に結城秀康の抱鍛冶となりました。大坂の役に二度従軍し、徳川家康の指示により、大坂城落城時に焼身となった名物や天下の名刀類を再刃して再生させたといわれています。
この「刀 銘以南蠻鐵於武州江戸越前康継慶長十九年八月吉日」は、長さがおよそ69.3cm(二尺二寸九分)、反りがおよそ1.5cm(五分)。表面は鎬造り、裏面は切刃造となっており、鋒が大きく延びる堂々たる姿は圧巻です。
いわゆる名物の切刃貞宗を模したとも称されていますが、厳密には切刃貞宗と安宅貞宗の特徴を融合させた、康継独自の創作と見るのが妥当でしょう。
本刀は特に「二つ胴」の切れ味試験を施されたことが記されており、小板目の美しい地がねと大乱の焼刃を持ち、表裏には貞宗作風の典型的な彫物が施されています。茎は生ぶ。表には「以南蛮鉄云々」の銘があり、裏には目釘孔の上に葵紋が刻まれ、下には「慶長十九年八月吉日」と年紀が記されています。
初代康継の作品の中でもこの刀は特に優れており、彼の作品には珍しく年紀が記されていることからもその貴重さがうかがえます。同作中、この手の作はよほど得意としたのか、世上の歓迎を受けたか数口が現存しています。同じく二代康継にも同様のものが見られますが、初代作には遠く及びません。
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