池田正宗(いけだまさむね)

  • 指定:重要文化財
  • 刀 (金象嵌銘) 正宗磨上 本阿弥(花押)(光徳) (名物:池田正宗)
  • 徳川美術館蔵
  • 長さ 2尺2寸1分(67.0cm)
  • 反り 6分(1.8cm)

 

 

池田正宗は相州正宗作の刀で「享保名物帳」に所載する。初め奥州の伊達政宗が千貫で求めたが、のち「日向有馬修理殿」に売却したという。しかし、日向国延岡城主となったのは、有馬修理大夫晴信ではなく、その子:左衛門佐直純であった。晴信はまたこれを因州鳥取城主:池田備中守長吉に売った。池田長吉は信輝の子、秀吉の養子となり、朝鮮の役にも参加する。関ヶ原合戦には東軍に所属し、戦後、鳥取に封ぜられ慶長19年9月24日に45歳で没す。長吉は刀に鑑定家の本阿弥光徳に依頼して金象嵌銘を入れることを命じた。光徳は埋忠寿斎に頼んで、慶長12年(1607)12月、「正宗磨上 本阿弥(花押)」と金象嵌銘を嵌入させた。将軍はこのことを聞いて、千貫で召しあげた。
慶安元年(1648)8月、将軍家光が尾張家を訪ねたとき、池田正宗を藩主:義直に贈った。慶安3年(1650)、尾張家では池田正宗を本阿弥家に見せ、二百枚の折紙を付けさせた。義直の嫡子:綱誠が元禄6年(1693)4月、家督を相続すると、前藩主:光友から家臣玉置市正を使者として、池田正宗と奈良屋貞宗を大小にして譲られた。14代:慶勝も池田正宗と物吉貞宗を大小にして差料にした。鮫黒勝色糸柄蝋色塗鞘打刀拵が附帯する。

名物帳には「尾張殿 池田(正宗) 象嵌銘 長さ弐尺弐寸弐分 代金弐百枚
表裏樋。元伊達政宗卿千貫に御求(め)又同代に御払(い)。池田備中守殿御求(め)、秀忠公又々千貫に被召上。尾張殿拝領と見へ御家に有之、故大納言殿御時分より有之子細(は)不知。慶安三に究る。」
埋忠銘鑑には、「池田備中殿 慶長十二年十二月ニ寿斎さうかん入申候」とある。

尾張徳川家における記録では
・御腰物請取・払方帳(元和七年-寛永十五年)
一 同日(寛永十三年九月廿一日御成之時)正宗御腰物 同断(公方様より御拝領) 代金百五拾枚(寛永13年9月に三代将軍家光より尾張初代義直が拝領する。)
・鞘書
「仁二ノ拾参(仁1-13)」 名物池田正宗御刀 象眼太刀銘 長弐尺弐寸弐分

形状は、鎬造り、庵棟、表裏に幅広の掻き通しの棒樋があり、樋先上がって肩いかる。そして添樋が中心に残る。大磨上で身幅広く切先延び、雄大な造込みである。鍛えは、板目つみ、地沸えよくつき、大模様の肌まじる。地景入り、映り心がある。刃文はのたれに小乱れ交じり金砂のごとき小沸えつき、金筋、稲妻など盛んに入って砂流し掃ける。湯走り、飛焼きなどがある。鋩子は表裏とも烈しく乱れ込み先掃ける。中心は大磨上げ、目釘孔一。銘は金象嵌にて「正宗磨上」「本阿弥花押」とある。花押は本阿弥光徳である。
池田正宗は一見して相州上工に見える健全な名刀である。形に豪壮さがあふれ、相州物の典型と言うべきもので、作風は貞宗に相通ずるところがある。なお、古には戦場を往来したであろう武勲を物語る大きな刃こぼれが、中程より三寸くらい下にあるのも、感興をそそられるものである。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 2尺2寸1分(67.0cm)
反り 6分(1.8cm)
元幅 1寸(3.0cm)
先幅 8分5厘(2.8cm)
元重ね 2分3厘(0.76cm)
先重ね 2分(0.66cm)
茎長さ 6寸5分(19.7cm)

日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋のTOPへ戻る