大千鳥十文字槍(おおちどりじゅうもんじやり)

千鳥十文字槍は、槍身の左右に枝が対称についた十文字槍の一種で、枝の下方にそれぞれ一つの突起があって、あたかもその形状が千鳥が飛翔する姿に似ていることからついた名称である。
千鳥十文字の変形とみるべきものに、下方の突起が一つではなく二つあって、蝙蝠が羽を拡げた形状のものがあるが、こちらは蝙蝠形とでも呼ぶべきであろう。

槍身のうちで、直槍に枝が付いたかたちのものを総称して鎌槍という。そして、そのなかでも片側一方にのみに枝のあるものを片鎌槍という。しかし、枝を左右の両側二方にあるものに2種類があって、枝が左右同型の正対称となる十文字型であるものと、左右にある2つの枝のうち一方が長くて、もう一方が短いものとがある。枝が左右にある十字型であっても、一方が長くてもう一方が短い非対称のものも、片鎌槍と称する。片輪つまり片の意であるといい、両輪のように左右正対称では無い。よって、片鎌槍には、純粋に枝が一本のみであるものと、二本あっても左右不同(非対称)のものとの二種があることになる。片鎌・両鎌であることにかかわらず、鎌の形状には、真横に向かうものと、上向きのものと、下向きのものとがあり、さらに一方が上向き、もう一方が下向きと互い違いものがある。

十文字槍とは鎌槍のうち、片鎌槍を除外した他の左右正対称の十字形をなした両鎌槍をいう。もっとも、左右の両鎌が水平方向に真横に出たもののみを十文字という厳密な使用方法もあるので、この場合は、他の湾曲した鎌槍は十文字型であってもすべて両鎌槍ということになる。
十文字槍は、通説、大和国(奈良県)の僧であった宝蔵院覚禅坊胤栄が、水面に映る月影からヒントを得て、直槍に十文字の枝をつけたことからはじまるという。話としてはおもしろいけれども、真実はどうであろうか。記録によると、胤栄は慶長12年(1607)に87歳で死んだというから、盛んに活躍したのは、合戦で盛んに槍が使用された永禄・元亀・天正の間であったものと思われる。しかし十文字槍には、胤栄の盛時よりもかなり古いものが相当にあるところからみて、この話が誤りであることが知れようし、また、三股の鉾はずっと古くからあったのでから、名が鉾であるによせ、槍であるによせ、この形を宝蔵院胤栄が創始ししたというのは明らかに誤りのようである。

十文字槍の形状は数多く多岐にわたり、それぞれに異なる名称があり、左右の枝が両方ともに上を向いた上り鎌十文字、両方ともに下を向いた下り鎌十文字、両枝ともに真横に向いてでている厳密なる十文字槍、一方が上を向きもう一方が下向く上下鎌十文字などが十文字槍のいくつかある基本形ともいうべきでもので、この他にも、枝の形状によって色々と名称が名づけられている。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

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