太郎太刀(たろうたち)

  • 大太刀 無銘 (号:太郎太刀)
  • 熱田神宮蔵
  • 長さ 7尺3寸5分(221.1cm)
  • 反り 9分9厘(3.0cm)

 

 

鎬造、庵棟、中鋒延びごころ、刃長に比して反り浅く、太刀というより大きくした打刀との形容がふさわしい。古研のため地刃の出来は未詳であるが、板目肌に中直刃、乱れごころがあり小足が入るように鑑える。茎に僅かにながら朱銘の痕跡の跡が残り、記録では「末之青江」とあったことがわかる。表裏の鎬地には棒樋に添樋を掻き、樋中に朱が施されている。朱塗鞘野太刀拵が附帯する。
青江とは備中国子位荘内(岡山県倉敷市)の地名で、ここに平安末期から室町期まで居住した刀工集団青江派のこと、末とは末流の意で、室町期の同派の作を指す。附帯する拵は次郎太刀と同様に、どちらも共に実戦用に適しているとは考えづらい。なお、太郎太刀が奉納された際の詳細については熱田神宮の権宮司家に伝えられた「田島家文書」に記録があり、天正4年(1576)8月に春日部熊野庄の山田甚八郎吉久により奉納されたものである。熱田神宮所蔵真柄太刀の一口で、次郎太刀と比較して長寸であり、「太郎太刀」と通称する。元亀元年、姉川合戦の際に越前朝倉方の豪勇:真柄十郎左衛門が用いたと伝えられる大太刀が2振あり、熱田神宮に次郎太刀と呼ばれる無銘(末之青江)221.5cm(7尺3寸5分)、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ:石川県白山市)に行光(賀州)186.5cm(6尺1寸5分)とどちらも長大な太刀である。これら実戦に用いられたものは奉納太刀と異なり、長寸でも手持ちの良いものが多い。

白山比咩神社のものは、太刀 銘 行光(真柄太刀) 附朧銀金具太刀拵 長さ186.5cm(6尺1寸5分)、反り1寸9厘(3.3cm)、鎬造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、大峰で反り浅くついた姿となる。板目に柾の交じる地鉄に、刃文は互の目交じりの小乱れ、匂深く処々に荒沸がつく。帽子は乱れ込み先焼詰め風となる。表裏鎬地に角留めの棒樋を掻く。行光は永正頃の加賀国藤島派の刀工である。元亀元年(1570)姉川の合戦で、大太刀を振って活躍した朝倉義景の家臣:真柄十郎左衛門所用と伝える一口となる。奉納の経緯は不詳ながら、寛永5年、加賀藩主:前田利常が時の名工:後藤才次郎吉定・右兵衛吉次に命じて調進させた太刀拵があり、その旨記した黒漆塗刀箱を付す。
白山比咩神社は石川県石川郡鶴来町鎮座の旧国弊中社で、白山権現とも称せられ、白山頂上の奥宮に対して白山本営とも下白山ともいう。祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)で全国にある白山神社の本宮である。創祀は崇神天皇七年と伝える。修験道の霊山としての白山への加賀登拝路の馬場の中心地として栄えた。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 7尺3寸5分(221.1cm)
反り 反り 9分9厘(3.0cm)

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