三重県桑名市に住むMと申します。千子村正は桑名の出身で全国的にも大変に著名な刀工です。村正の妖刀説は、徳川家康が村正の作を嫌悪したことに始まっています。事実、徳川一門の者は、まず家康の祖父:清康が村正の陣刀によって斬殺され、父:広忠は股を刺されて重傷を負い、長子:信康が織田信長の怒りに触れて自害した際、介錯の任に当たった天方山城守通興の刀が村正でした。家康も幼少の頃、村正の小刀で手疵を負っていて、慶長5年の関ヶ原の戦いで凱旋の際、河内守長孝の武勇を表彰する際、あやまって長孝の槍を取り落し、手に怪我をしました。その槍は村正でした。家康の孫:忠長が、高崎城で自害した短刀が村正でした。そのため、村正を悪剣妖刀としそれを政略としても用いられました。その反面に、明治維新の際に、勤王倒幕の念に燃え身命を賭して活躍した征討軍の志士達は、好んで村正を手に入れ、愛刀としました。中でも西郷隆盛は壮年時代に村正の短刀を鉄扇に仕込んで護身用としました。三条実美は、福岡の太宰府天満宮に村正の短刀を奉納し、王政復古の大願成就を祈誓し、また土佐藩の家老:後藤象二郎も村正の刀を指して、征討軍の指揮をしたこどなどは、よく知られています。一方、村正の作刀は、徳川家の忌避するところとなり、おのずと大名や幕臣の間においては帯用することを遠慮するようになりました。今回、手放すことになりました私の愛刀であった村正の短刀も元々は旗本が密かに秘蔵していたものと伝え聞いています。

三重県の旧国名は 伊賀国と伊勢国と志摩国といいます。
伊賀国は、東海道に属する国名で、今の三重県の西北部、「延喜式」によれば、毎年横刀は四振り朝廷に納めています。刀工は、古刀期には建武(1334)のころ、宗近という鍛冶がいます。
伊勢国は、東海道の一国で、今の三重県の大部分を占める地方です。「延喜式」では毎年横刀二十振りを貢献することになっているから、古くから刀工がかなりいたことになります。室町後期には、かの妖刀と俗称される千子村正、およびその門人で、楠正成一族の子孫と伝えられる正重らが著名です。なお伊勢神宮に参拝し、濃州関の和泉国兼定や兼貞、長船則光らがこの地で鍛刀しているのも、興味をそそられます。鐔工としては江戸中期に、もと鉄砲鍛冶だった間派が、砂張象嵌という特殊な彫技で名を売りました。

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