平野藤四郎(ひらのとうしろう)

  • 御物
  • 短刀 銘 吉光 (名物:平野藤四郎)
  • 宮内庁蔵
  • 長さ 9寸9分(30.3cm)
  • 反り 内反り

 

 

平野藤四郎は粟田口吉光の作で、「享保名物帳」に所載する。もと大坂の商人であった平野道雪が所持していた。平野家は坂上田村麿の子孫で、田村麿の子:広野の領地だったので、もと広野庄といったが、のち平野庄に改称された。その子孫は「平野殿」と呼ばれ連錦江戸期まで栄えた。慶長(1596)ごろは、伏見銀座の頭役にもなっていた。平野とは摂津国住住吉郡平野庄または郷で、現在の大阪市平野区にあたる。

平野道雪から、城主淀城主:木村常陸介重茲が、金三十二枚で買い取った。当時、刃長は1尺(約30.3cm)だったが、区送りして9寸9分(約30.3cm)の短刀にした。そして、豊臣秀吉に献上し、秀吉はこれを加賀の前田利長に与えた。

利長は慶長10年(1605)6月28日、隠居の挨拶として、将軍:徳川秀忠に献上した。元和3年(1617)5月13日、前田邸に臨んだ時、前田利常に畠田守家の太刀、一文字の刀(浅井一文字)、平野藤四郎の脇指を与えた。利常からは畠田守家の太刀、貞宗の刀、新身藤四郎の脇指(江戸新身)を献上している。以後、前田家では、折紙はついていないが、千貫以上の脇差の筆頭にこれをあげ、金沢城内の宝蔵に保管していた。文化9年(1812)3月、本阿弥長根がお手入れに出張し、「新刀の如し」と驚嘆している。明治15年、前田家より明治天皇へ献上され、現在も御物となっている。

名物帳には「松平加賀守殿 平野藤四郎 銘有 長さ九寸九分 不知代
表裏刀樋并(に)鎺下に影樋の残有之。摂津国平野之町人道雪と申(す)者所持。木村常陸介金参拾弐枚に求む、其節は長さ壱尺有、詰り候て如何とて壱分磨上る。秀吉公へ上る。利長卿拝領。又秀忠公へ上る。元和三年利家卿館へ渡御之刻利光卿拝領也、其節加州よりは新身藤四郎上る。」

刃長9寸9分(約30.3cm)、平造り、真の棟。表裏に刀樋があるが、差し表の鎺下に、添え樋の跡が残っている。地鉄は小板目肌つまり地沸え美しくつく。刃文は、もと互の目乱れ、先は広直刃に足入りとなり、差し裏には葉が多い。鋩子は小丸となる。中心は1分(約0.3cm)区送りのうぶ。瓢簞形の目釘孔の下に「吉光」と二字銘がある。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

 

(法量)
長さ 9寸9分5厘(30.15cm)
元幅 9分4厘(2.85cm)
元重ね 2分7厘(0.82cm)
茎長さ 3寸8分5厘(11.67cm)
茎反り なし