祢々切丸(ねねきりまる)

  • 指定:重要文化財
  • 大太刀 無銘 (号:祢々切丸)
  • 日光二荒山神社蔵
  • 長さ 7尺1寸5分(216.6cm))
  • 反り 2分(6.1cm)

 

 

鵜首造、庵棟、重ねが極めて厚く(元重2.0cm)、身幅広く、大鋒で反りが深い。長大な大太刀で重量を軽減するためか棟肉を削いで鵜首造としている。刀身に比して茎が長く、実用として考えた場合、薙刀同様に薙ぎ払って使用したものであろうか。全長においては山口:花岡八幡宮の「破邪の御太刀」や岡山:吉備津神社の「吉備津丸」等と並んで日本有数の大太刀として知られている。鍛えは板目に大杢目が交じってやや肌立ち、総体に流れごごろで淡く映りがあらわれる。刃文は長大な為か下半は焼を入れず、中程より湾れ調に互の目・小丁字・小乱れ交じり、飛焼入り、金筋・砂流しかかり、匂出来で小沸がついている。帽子は表二重刃先僅かに返り、裏乱れ込み先掃きかける。彫物は表裏に薙刀樋を区上で丸止としている。茎は生ぶで腐食が進み、区下20cm程で鎬筋が消えて平らとなり、先細り僅かに反りがつく。いつの頃か折れたのであろう、茎先より18.6cmのところで継いでおり、先は切り、鑢目は不明、目釘孔三個、無銘で「祢々切丸」の号がある。
祢々切丸は大振りの体配から南北朝時代の作と見るべきであろうが、作者は地刃の作風から備前系の影響が窺われるものの特定に至らない。瀬登太刀・柏太刀と共に日光二荒山神社の御神刀で、祢々切丸の号の由来は定かでないが、日光山中の、ねねが沢に出没した化物「祢々」を退治したと伝えられているものである。「祢々」は日光付近の方言で、河童のことで、昔、この大太刀が自ら抜け出して、祢々を斬った、という伝説がある。
日光二荒山神社では、「瀬登太刀」・「柏太刀」とこの「祢々切丸」の三口を毎年4月13日から17日にかけての弥生祭に、男体山麓の牡鹿の生皮の上に飾り立てて神に捧げる慣わしがある。

祢々切丸には山金造波文蛭巻太刀拵が附し、総長337.0cm、鞘長231.0cm、柄長107.5cmとなる。柄、鞘ともに山金の帯金を蛭巻きする。金具は全て山金製で素文であり、兜金、縁金物はやや長く、猪目透し、先を入八双形にとして、縁には筒金を重ねる。鞘口と石突も柄の兜金、縁金と同形であり、鞘口金物には筒金を重ねる。鐔は小振りの長丸形の喰出鐔で、切羽が表裏一枚ずつ付属する。柄に二か所、鞘に五か所責金をはめている。柄、鞘は、木地に布を着せてから山金の蛭巻を施し、蛭巻と蛭巻の間の木地の段差にコクソ漆を充填し、蛭巻も含めてその上から薄茶色の色漆で波状文を刷毛目塗で表している。
足金物は制作当初から無く、いわゆる打刀の形式をとっている拵で、大太刀用としては珍しい。また蛭巻を含めて全面に波状文を刷毛目塗としているのも中世以前では他に類例がない。制作は金具の材質、形状から南北朝時代と考えられるが、この波状文の塗が制作時からのものなのか、後世に加えられたものなのかは分からない。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 7尺1寸5分(216.6cm)
反り 2分(6.1cm)
元幅 1寸8分8厘(5.7cm)
先幅 1寸2分5厘(3.8cm)
鋒長さ 2寸4分4厘(7.4cm)
茎長さ 3尺5寸5分(107.5cm)
総長 1丈6寸9分(324.1cm)