「太刀 銘國綱(名物 鬼丸國綱)」は鎌倉時代、相模国の國綱による作です。長さはおよそ78.18cm(およそ二尺五寸八分)、反りはおよそ3.1cm(一寸〇分二厘)となっています。

名物と評されるこの鬼丸國綱にまつわる説話としては、北条時頼が幻覚とともに熱病に苦しんでいたところ、火鉢の小鬼を斬り時頼の体調を回復させたというものがあります。その後この刀は北条家の宝物として代々扱われることになったとのこと。

鎌倉時代以降については争乱の中で新田義貞、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、更に江戸城へと受け継がれていったようです。最終的には本阿弥家に入るのですが、鎌倉時代から江戸時代に至るまで雑兵に扱われることがなく、天下五剣の一つに数えられるに至ります。このような刀が現在も皇室の所蔵として現存しているのは素晴らしいことだと言えるでしょう。

 

鬼丸造と言われる外装は名高く、特徴があります。というのも鎌倉時代当時この相模国には他国から移住してきた刀工しかいませんでした。この刀も山城の鍛錬法をそのまま用いられたため粟田口派の特色が現れています。

しかし鎌倉文化の重剛な風潮を受けた結果、鎌倉武士の好む覇気を感じさせる作風となったのです。具体的には腰反りが高く、杢目板目の肌が立ち大模様が目立つようになっていることが挙げられます。

その他にも太鏨の力強い二文字の銘が太刀表目釘穴の上の鎬地にある点をはじめとした、あらゆる点の力強さから鎌倉ぶりと称されます。

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