在吉に関しては『鍛冶名早見出』に「堀川国広門 寛永」との表記が確認できます。

現存する作刀としては刀、短刀ともに見られますが極めて少なく、うち一本には「慶長二年九月吉日」と年紀があります。国広一門中で最も年紀が古いものは、国広は京堀川に定住した、慶長四年を遡るものです。しかもその技量は相州伝の中でも、上工の域を迫っていることから、在吉は一門の中でもかなり先輩であることが伺えます。あるいは国広や広実等とともに、諸国流浪の一人であったかも知れません。

加えて、在吉の作域は広く、中には備前長義、或いは備前兼光、相州行光の作に倣ったものが現存します。これらの状況から、在吉は完成された堀川国広の作風から学んだというより、その素をなす相州伝上工の作風に学んでいるといえるでしょう。ただしこの刀は堀川風の本筋をゆくものであることは確かです。

 

「刀 銘 阿波守藤原在吉」の長さはおよそ72.6センチ (二尺三寸九分半)、反りはおよそ1.6センチ (五分四厘)です。鎬造りで庵棟、身幅は広く、先幅はさまで細らず、大鋒となり、反りは浅いです。重ねはやや厚めで、鎬も高めで、がっちりとしています。鍛は板目に杢交じっており、裏側は特に流れて柾がかり、総体には地沸が厚くつき、地景が入って、ザングリとしているあたり、堀川一門の特色が見られるといえるでしょう。

刃文は大きく浅くのたれ、互の目小乱れまじり、総体の匂口は沈みごころに、沸よくつき、砂流しがかかります。帽子は乱れ込んで掃き掛けて、表は崩れごころとなり、裏は尖って返っています。茎は生ぶで先はやや細く、栗尻、鑢目は筋違いです。目釘孔は二つあり、目釘孔の下の棟寄りにやや、太鏨で大振りの力強い長銘を確認できます。

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