正俊は関の兼道の四男です。長兄には伊賀守兼道、次兄に丹場守吉道、三兄に来金道がおり、この四兄弟は文禄年中、父とともに、城州西ノ洞院夷川(京都府)に移住しました。

現存する正俊の作刀中、経眼したもので最も古い年紀が慶長五年です。その銘文には、越中守藤原正俊とあって、藤原姓をきっているものは正俊に限らず、三品一類には極めて稀です。越中守正俊は、極めて器量な男であったらしく、その作域も四兄弟中、最も広く、鍛も板目、板目流れるものの他に純然たる柾目もあり、中に直刃もあります。他には三本杉風の尖り刃を焼いてあたかも赤坂の兼元と見紛うような品もあるため鑑定の難易度は高いです。

注目したいのは、すべて板目の肌が流れていること、帽子が、三品帽子の典型的のものが多いことです。作品は刀と短刀が多く、他には薙刀が一口。笹穂の槍一本が確認されています。

 

越中守正俊大成後の一振りが、「刀 銘 越中守正俊」です。おそらく元和の初めごろのものと見られています。長さはおよそ73センチ(二尺四寸一分)、反りがおよそ1.3センチ(四分三厘)です。

鎬造り、庵棟で僅かに磨き上げて反りが浅く、鍛は板目やや流れごころがあり、地沸つき冴えています。帽子は僅かにのたれ込んでいて、先掃き掛けごころに尖って返るという三品帽子の典型的な形状です。わずかに磨上げた茎には、目釘孔が3つ、旧鑢目は大筋違いで特色を見せています。目釘孔の下に、棟寄りにやや大きめで癖がある字と、字の間隔が詰まった五字の銘が切られています。

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