「刀 銘 山城大掾藤原用恵国包(國包)」の長さは、およそ75センチ (二尺四寸八分)、反りはおよそ1.5センチ (五分)です。この刀を作った国包は本郷氏で、文禄元年に生まれ、寛文四年に七十三歳で亡くなるまでの間、仙台藩主の伊達政宗に仕えました。

国包は、初め「山城大掾藤原國包」「奥州仙台住山城大掾藤原國包」などと銘を切っていましたが、寛永五年には髪を下ろし入道し、「用恵仁沢」と号しました。これは「ヨウヱニンタク」と読むのが正しいと思われますが、「ヨウケイ」と読むのが一般的です。

一本短刀で「山城守藤原国包」「寛永十五年二月日此時分 用恵仁沢」と銘を切ったものもあり、他は「用恵国包」「山城大掾藤原國包」などと長銘のものもあります。他の刀工は受領銘や俗名を切らぬものが多いです。しかし国包の入道後は、「入道名以外に自由に俗名、受領名を切っている」ということになります。

 

また国包は「保昌の未流」を称し、はじめは上京して越中守正俊に学んでいます。元和元年の大阪陣で国に帰ったのち、再び上京して、寛永三年には「山城大掾」を受領しました。

生涯を通して大和保昌風の巧みな柾鍛の刀をつくっており、特に細直刃のほつれた沸ついた刃文を得意としています。中には古保昌派の作に迫るほどの出来のものも確認できますが、違いもあります。

古作は物打から上のほうが、広くはげしい焼き幅が見られ、帽子も盛んに掃掛けて焼詰となるのが常です。しかし国包は、よく出来たものでも「物打上がにぎやかになる」「帽子を焼詰める」というような特徴はなく、わずかに小丸に返るものが多いです。

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