加州初代兼若は、当初「甚六」と名乗り、後に四郎右衛門と称するようになりました。しかし、慶長十四年紀の賀州住兼若作という銘の刀に始まり、慶長十六年紀の賀州住兼若告、元和元年紀の兼若造などの作銘のものがあります。

元和五年、越中守を受領して名を高年と改めたと言われています。現存する高年銘の作刀は、元和七年正月吉日紀のものが最も古いです。

 

この「刀 銘 兼若 慶長九」の長さはおよそ65センチ (二尺一寸四分)、反りはおよそ0.8センチ (一分五厘)。やや身幅が広く、鋒が大きく延びごころ。鍛は板目肌がやや肌立って流れ、地沸がついています。刃文は直刃調に浅くのたれ、砂流しがかかります。一般にやや重ねが薄めで反りは浅め。表裏に二筋が刻されています。

茎は生ぶ。勝手下がりの鑢目があり、先は栗尻です。表の目釘孔の下に、棟寄りに二字銘があり、その裏に同じく慶長九と年紀があります。

この「慶長九」という年号があることからか、以前は加州兼若の初代作と誤認されていました。しかし、この作には、末関によく見られる特徴が確認できますが、加州物の特徴はなく、兼の字が関物一般にみる「ウオカネ」と称せられる魚の字に似た銘字で、加州兼若のそれとは全く異なります。

従ってこの刀は美濃から尾州犬山に移住した犬山兼若の作かもしれないとの見方もあります。ただし、こうした銘の兼若に、犬山住と銘したものはなく、また、慶長年紀のものでこうした兼若も他に類を見ないため、兼若を研究する上での一つの資料として価値があると言えるでしょう。

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