「刀 銘 菊紋 山城守藤原国清(國清)」の長さはおよそ74.2センチ (二尺四寸五分)、反りはおよそ1.8センチ (六分強)。鎬造り、庵棟、おろしやや急になり、中鋒やや延びごころとなっています。反りは浅く、美しい打刀の姿です。鍛は小板目で、やや肌立っており、地沸よくつき、地景入ります。

刃文は中直刃で、匂深く、ほつれて小足入り、小沸がよくついています。帽子は直ぐに小丸となり、先は僅かに掃き掛ける形状です。茎は生ぶで、やや長め。先は丸い栗尻で、鑢目は筋違いです。目釘孔は一つで、指裏の鎺(はばき)下も十六葉の菊花紋の彫があります。目釘孔の下には、わずかに棟に寄せて細鏨で大振りの七字銘があります。

 

国清の本国は信州松本です。三代目島田助宗の子と伝え、初め吉衛門助宗と名乗っていましたが、上洛して堀川国広の門に学び、国清と改めました。国広没後、信州に帰りましたが、松平忠昌に仕えて越後高田に移ります。

さらに寛永元年、忠昌に従って越前福井に移住しました。山城守の受領は寛永五年で、その前年の寛永四年二月には、山城大掾に任命され、藤原の姓と十六葉の菊花紋とを拝領しています。当時の諸記録には「菊国清」とあり名誉としたことがわかります。

ところが『鍛冶銘早見出』にも『新刀一覧』にも「菊一ヲキル」と記載がありますが、初代は菊紋だけであるため「一」を切るものは二代以降と考えていいでしょう。

なお国清の初二代銘は区別が大変難しいため、今後の研究の進歩が待たれます。国清には乱刃もありますが、直刃を最も得意としていて、康継の影響も多く受けている点も見逃せません。

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