この「刀 銘 和州手掻住重国(國)於駿府造之」は「駿府打ち」とも称されます。於駿府造之という添銘がその理由です。

作者の重国(重國)は徳川家康に召抱えられ、駿府で鍛刀を行いました。時期としては慶長から元和五年にかけてで、頼宣に従い紀州和歌山へ移るまでの間です。駿府在住時には、重国の祖風である手掻風よりも、郷の義弘の作品に私淑する傾向が強かったと考えられます。

義弘は越中国松倉の郷出身で、相州で正宗に学び、その十哲の一人とされていましたが、若くしてこの世を去りました。義弘の現存する作刀には、二字銘も長銘もなく、有銘作の信ずべきものは存在しません。しかし、その独特な作風から義弘の作と鑑されるものは現存します。

江戸時代には「江」の字を用いて義弘の作品とされることがありました。これは越中国松倉郷の「郷」と「江」が「ごう」と呼ばれることに由来します。江の作風は地鉄がよくつみ、地沸が細かくつき、地景が入るのが特徴です。浅いのたれ刃を主とし、匂口が冴え、小沸が厚くつき、金筋などを交え、足を巧みに入れます。特に帽子は多く一枚となり、深く丸く返るものです。

重国はこれを目指し、さらにその作風を追求したのが虎徹でした。

 

「刀 銘 和州手掻住重国(國)於駿府造之」の長さはおよそ67.9センチ(二尺二寸四分)、反りはおよそ2.2センチ(七分)。鎬造り、庵棟、身幅広く、中鋒延びごころとなり、およそ七センチ(二寸三分)あまり磨き上げて、やや反り高い堂々とした刀です。

鍛は小板目が肌によくつんでおり、流れごころが全体に見られます。地沸は厚く、地景が入り、冴えた明るい印象を与えます。刃文は焼幅が広く、のたれて角がかった刃が交じり、匂深いです。匂口は冴え、沸はよくついて足が入っています。砂流しや金筋が所々にかかり、華やかさが際立ちます。掃き掛け帽子、僅かに乱れ込み、先は丸くなっています。

表裏には力強い棒樋が搔かれ、茎の中程で丸留めです。茎は磨き上げられ、先は切り落とされています。鑢目は勝手下がりで、目釘孔は二つ。旧目釘孔を中心に、棟寄りに小振りの長銘が見られます。

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