剣(けん)とは、中国の古武器で、両刃で脊つまり鎬のあるものをいう。剣という字は、もと劔または剱と書く、つくりの刀や刃に意味があって、偏の僉は単にケンと発音を示すに過ぎない。剣という字の意味については、剣は検、つまりタダスという意味で、非常のことを防ぎタダスこと、という説と、剣は斂つまりオサメルという意味で、両手でかかえ持ち、臂のうちにオサメルこと、という説との二説がある。
剣の名称として、脊つまり鎬から刃に至る間を臘、刃先を鍔(がく)、刃のある部分と中心の境、つまり区(まち)のところを首、中心を茎または鋏、中心先つまり柄頭を鐔(たん)という。柄頭が円い環になり、○ーの形になった場合は環という。環の中の孔を口というので、剣口ともいう。柄頭に耳形の金具を取りつけた場合は珥(じ)という。それが鼻を連想させる場合は剣鼻または璏(てい)という。茎の長さは周尺の五寸(約10.6cm)と定められ、刃長は身分によって違っていた。
上士の剣は上制といって、茎の五倍の長さで、重量は九鋝、中士の剣は中制といって、茎の四倍の長さで、重量は七鋝、下士の剣は下制といって、茎の三倍の長さで、重量は五鋝だった。鋝(れつ)は重さの単位で、この場合は三鋝が一斤四両の割り合いだった。剣は黄帝のころ、蚩尤(しゆう)という暴虐な王がいて、それが葛蘆の山からカネを掘り出して、造ったのが始まりという伝説がある。このカネは銅であって、鉄をもって造り始めたのは、秦のころからである。

剣(つるぎ)の語源については、
① ツラヌキ(貫)のラとヌがつまり、ルになり、ツルギになったという説
② 都良念乃義の念乃を中略して、都良義となり、さらにツルギと訛ったという説
③ 越前の敦賀は、初め角鹿(ツノガ)といったのが、ツノがツルに変じてツルガになった。ツルギも鹿の角のように尖ったものだから、初めツノギといったのが、訛ってツルギになった。ギは刃の意味という説。
④ ツルはスルド(鋭)、ギはキで、切るという意味、と解する説
⑤ 「古事記」に都牟刈(トムガリ)之大刀とあるのが、「日本書紀」では単に「剣」という一字になっているから、同語ということになる。したがってツルギは都牟刈の約まってもので、都牟刈はトンガル、つまり尖るという意味、刈は刈り取る、切り取るという意、と解する説
⑥ ツルギは都牟刈の約まったものであるが、ツンガリは物を鋭く切断することの形容で、俗にヅカリと切る、スッカリ切るという、そのヅカリやスッカリに当たるという説
⑦ 障りなくツルリとキれるが、約まってツルギになった、という説
⑧ 古くは帯に吊り下げていたので、吊り佩キが約まったものという説など、異説が多い。

ツルギの音写には、都流岐・都流芸・都留岐などのように、ツルギと濁って発音するものと、都瑠幾・豆留支などのように、清んで発音したものとがある。ツルギにあてた漢字には、劍・劔、略した剣・剱のほかに、釼がある。これはニブイ(鈍)という字であるが、古剣書ではツルギまたはハガネの意味に遣う。ハガネにも鋼の意味と、刃の部分の金という両義がある。なお、鎁もツルギとよませる。属鏤(ショクル)をツルギとよませたものがあるが、属鏤とは中国の古剣の名である。釖はカタナとよむ。
ツルギの内容についても諸説がある。
① 上古はすべて両刃だったから、ツルギは刀剣類の総称とする説。「日本書紀」には「草薙剣」とあるが、「古事記」には「草那芸之大刀」とあって、剣は大刀と同義に遣われている。
② ツルギは都牟刈之大刀、つまりズバリと切れる刀の約まったものだから、刀のうちでも利刀を指したことになる。「倭名類聚抄」で、「剣」をツルギと訓ませず、名剣の「属鏤」をツルギと訓ませているのも、ツルギは上等の刀、と解していたからである。
③ 両方をツルギという。刀に似て両刃を剣、剣に似て一刃を刀という、と区別するようになったのは、時代がやや下がってからのことである。

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