刀剣の故地を往く 和歌山県・高野山
天空の聖地に眠る清麿の墓を訪ねて

高野山には一度は行ってみたいと、前々から思っていた。その理由の一つに、栗原信秀が師である源清麿のために建立した墓をお参りすることがあった。信秀は元治元年(一八六四)から慶応三年(一八六七)までの四年間、幕府の御用のために大坂に滞在し、数多くの名刀を鍛えている。その間、慶応元年五月二日に筑前守を受領。墓碑の左側面に「筑前守」の文字があることから、建立は慶応二、三年と察せられる。墓銘は正面に「山浦清麿之墓」とあり、左側面は「東都 栗原筑前守信秀建立」と読めるが、右側面の「安政元卯十一月十四日寂」は現在苔に覆われて判読しずらかった。さらに、『栗原筑前守信秀の研究』(昭和五十一年)によれば、信秀は墓石の建立と同時に、高野山の中にある蓮華定院に清麿の永代供養のための位牌を納めている。その裏側に「東都本郷春木町一丁目栗原筑前守信秀」とあり、当時、本郷に暮らしていたことがわかる。このように、信秀は大坂滞在中に高野山を訪れて清麿の墓を建立しており、いかに師匠思いであったかを知ることができて、信秀がますます好きになった。ところで、清麿の墓を参拝したくても、それが一体どこにあるのかが心配になった。何せ高野山には二十一万基を超える墓碑や供養塔、慰霊碑があるという。漠然と高野山に行ったところで、清麿の墓が簡単に見つかるはずもない。そこで、いろいろな方に問い合わせをし、ようやくある方にたどり着いた。その方は今から六年ほど前、定年退職後、高野山に入山して修行を重ね、僧侶になられた松田吉光さんである。氏は大の愛刀家であり、私も面識があった。現在は高野聖で有名な苅萱堂(かるかやどう)で堂守をされている。紅雅堂の笠原康正さんに松田さんの電話を調べていただき、早速に連絡してみると、「清麿の墓は承知しているので、ぜひおいでください」との吉報を得ることができた。早々に予定を立て、ホテルや宿坊の予約を取り、五月二十日に行くことにした。新幹線で大阪に行き、御堂筋線なんば駅へ、さらに南海高野線に乗り換え、その日は高野山の麓の橋本駅近くに宿泊した。翌朝は橋本駅から高野線で極楽橋駅まで行く。途中、真田幸村ゆかりの九度山を過ぎ、電車はさらに急勾配の軌道をきしむ音を立てながら登っていく。極楽橋駅から今度はケーブルカーに乗り換え、一気に標高九百メートルの高野山駅へと向かった。高野山駅を降りると、僧侶姿の松田さんがにこやかに出迎えてくださっていた。そこから車で約十五分、苅萱堂に到着した。お堂でおいしいお茶を頂いた後、いよいよ清麿の墓を目指すことになった。歩いて十分ほどの所に奥の院入り口の一の橋がある。小さな一の橋を渡ると、そこからは神聖な場所へと一変する。凜とした空気が漂い、背筋がピンと伸びる思いがする。奥の院まで約二キロの石畳が続く。樹齢数百年の杉の巨木が天を突き、空は吸い込まれるように青い。度肝を抜かれたのは、薩摩島津家の墓所である。高さ六、七メートルもあるだろうか、巨大な石で作った供養塔が何基も建っていた。松田氏によれば、大きな塔の中は空洞だとか。諸大名が競って供養塔を建立したのは、三代将軍家光の奨励によるものである等々、僧職でなければ知り得ないさまざまな興味深い話を伺いながら、前へ前へと進んでいく。十五分ほど歩くと、右側に石田三成の墓所があり、その近くに清麿の墓はあった。「冥賀さん、ここですよ! ここですよ!」。清麿の墓が眼前に現れたその瞬間、胸にこみ上げるものを覚えた。その横には、清麿をこよなく愛し、深く研究もし、清麿を世に送り出した藤代義雄先生の碑が建てられてあった。昭和四十二年六月六日、二十七回忌に合わせ、有志百余名によって建立されたものである。碑の裏側には、清麿を最も愛した齋藤一郎さんの名を先頭に、当時の愛刀家、研究者、刀職者、刀剣商、藤代松雄先生の門人らの名が刻まれている。墓所をきれいに清掃した後、線香を手向け、松田師の読経が営まれた。清麿・義雄両先生に刀剣界のことをお願いし、その後、さらに奥の院へと足を運んだ。また、なかなか歩いてはいけない女人堂や徳川家霊台大門などにも車で案内していただき、この日は早めに宿坊である福智院に向かった。夕刻五時には精進料理を頂き、早々と就寝。翌朝は五時に起床し、本堂にて朝の読経など、宿坊ならではの良い体験もさせていただいた。もう一度奥の院に出かけてみた。早朝のため参拝者の姿はなく、ゆっくりと参拝することができた。その後は、高野山の中心部にある金剛峯寺・壇上伽藍・霊宝館などを参拝し、午後三時ごろ家路に就いた。高野山は今から千二百年前の平安時代に、弘法大師(空海上人)が真言密教の根本道場として開創された聖地です。私も七十歳を過ぎ、足腰の丈夫なうちにと思い、家内と二人で出かけてきました。天候にも恵まれ、本当に楽しい思い出ができました。高野山に行かれましたら、清麿・藤代義雄両先生をぜひお参りしてください。一の橋から入って十五分ほどで着きます。石畳の右側に「山浦清麿墓所」「鑑定家藤代義雄碑」と石柱が建っています。万一通り過ごしてしまったら、「汗かき地蔵尊」や「姿見の井戸」のある中の橋の手前と覚えておいてください。最後に、今回の旅で大変お世話になりました苅萱堂の松田義光氏に心よりお礼申し上げます。

(刀剣界新聞-第50号 冥賀吉也)

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