終戦直後の日本刀は、誠に厳しい状況下にあったそうです。
すなわち、連合国側が武器としたものの中には日本刀が含まれており、しかも日本軍が使用した軍刀にとどまらず、民間人の所有する刀剣類すなわち私有財産であっても、これを武器と見なしてすべて接収するという厳しいものでした。
昭和二十年九月二日付で連合国軍最高司令官から、「日本帝国大本営及び適当なる日本官憲は連合国占領指揮官(複数)の指示に基づき日本民間の所有するあらゆる兵器を蒐集、引き渡す準備をなすべし」とする命令が出されました。
進駐軍が電波探知機で各家々を捜索し、万が一にも日本刀を隠し持っていたことが発覚した場合、銃殺刑に処されるとか、沖縄で強制労働をさせられる等々の恐ろしいデマが全国に広がっていたと、かつて聞いたことがあります。
このとき、どれだけの数量の刀が集められたか明瞭でありませんが、膨大なものであったことは想像することができます。集められた刀剣類は、ガソリンをかけて焼却されたり、海中に投げ込まれたり、あるいは切り刻まれてスクラップにされたり、戦利品として進駐軍将兵に持ち去られたなどと伝えられています。
その後、同年九月二十四日付で「美術品と看做される刀剣に関しては、…善意の一般市民の所有に係る場合にのみ」保管を許されるところとなり、翌年六月三日、勅令第三百号「銃砲等所持禁止令」が公布され、日本人審査員による審査が行われます。期間を区切ったこのときの審査会では、所持許可の出たものが全国で約八万本にすぎませんでした。
届け出期間中に間に合わなかった刀剣類が相当あって、審査を続けてほしいという声が多く、その後も継続されます。昭和二十五年まで続いたこの制度下で所持が許可された刀剣類は、全国で二十万本を超えます。
同年十一月十五日、新たに「銃砲刀剣類等所持取締令」が公布され、登録制度が開始します。最も早いところでは、翌年二月に登録審査会が始まっています。なお、旧許可証は銃砲刀剣類登録証に書き替え登録を行わなければならず、その時点で全国に二十万二千余件あったとのことです。
旧許可証の有効期限は、昭和二十七年三月です。最近でもごくまれにではありますが、当時の許可証の付いた刀剣を見ることがあります。現在は無効であり、あらためて発見届を行い、新規登録を行わなくてはなりません。
現在、銃砲刀剣類登録証の発行数は平成二十八年四月現在、東京都だけでも三十一万五千三百五十余であり、全国では二百三十万余とも言われています。
戦後間もない「接収」時代から「所持許可」を経て登録証へと移り、今では日本刀は「鉄の芸術品」として世界中の愛刀家の皆さまに愛されています。
戦後の厳しい状況下のことは、公益財団法人日本美術刀剣保存協会発行の『刀剣鑑定手帖』の巻頭に詳しく記されています。本間薫山・佐藤寒山両先生はじめ、多くの先輩方のご尽力により日本刀が救われたことを忘れず、今後大切に伝えていくことこそわれわれの責務だと思います。

(刀剣界新聞-第29号 冥賀吉也)

日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋のTOPへ戻る