千代金丸(ちよがねまる)

  • 指定:国宝
  • 金装宝剣拵
  • 刀身 無銘 (号:千代金丸)
  • 那覇市歴史博物館蔵
  • 長さ 2尺3寸5分(71.3cm)

 

千代金丸は、治金丸・北谷菜切とともに尚家に伝来した3振の刀剣の一つで、尚家の由来記によれば1416年に山北王が中山王と戦って敗北した際にこの刀で自刃したという。刀身は平造りで先反りの強い作で、日本本土製とみられるが作者の系統は明確ではない。外装の鐔や鐺は明らかに日本本土製であるが、金装の鞘や頭椎形の兜金などは琉球製と考えられる。片手打ち柄などは日本刀の形式と異なる独特なものである。
拵の柄は頭椎形とし萌黄金襴包みに茶糸菱巻き。兜金は頭椎形金製で頭に菊紋毛彫り、「大世」銘を刻す。竹節状の座を廻らし、基部には九条の綾杉文を刻した帯金をつける。目貫は金地菊文高彫り。鞘は金地板を着せ、腰で継ぐ。縁金物は金地菊文毛彫り。口金物は、赤銅地菊文毛彫鍍金と金地枝菊文高彫りの金具を合わせる。鐺は金地枝菊文高彫り。鐔は赤銅地木瓜形の板鐔で、四方に四花形と猪目形の透かしを入れ、鍍金毛彫り菊文を散らす。切羽は二枚とも木瓜形で銅地に菊文を散らす。総長:92.1cm。時代:16~17世紀。
刀身は、平造り、庵棟、やや細身の刀で先反り強くつく。茎は上三分の二に金板を着せて鋲留めする。茎尻近くに大きな孔を二個穿ける。先浅い栗尻、目釘孔三(二埋)。鍛は板目肌流れる。刃文は広直刃調、小互の目交じり、足葉入る。帽子は直ぐに先尖がりごころに反り、長く焼き下げる。彫物は表裏とも五本の細樋。総長:71.3cm。時代:17世紀。

金装宝剣拵
「千代金丸」と称される刀身の拵である。全身に比べ柄が短く、柄頭が頭椎形を呈する独特の形を見せる。反りは刀身に合わせ、ほぼ中ほどに中心を置く。
鞘は二枚合わせとした木胎(鞘口部分より、薄い鉄板が内面に貼られているのが観察されるが、全体にわたるかは不明)に、銀を1割含む金の薄板を被せる。金属板で鞘を包んでいることは、X線透過写真で鞘全体が白く見えていることでも明らかである。表面には斜格子状の擦痕がほぼ全面に残るが、これは表面を木肌に見せた意図的表現である。鞘口から十数cmのところに金板の分かれ目があるが、意味は不明である。
柄は、頭の方に広がる形で、金襴で包み、鶯茶の糸を巻く点は日本の刀拵の手法を踏襲するが、柄頭付近の金具の意匠性は他に類を見ない。金製の柄頭と2個の竹節形鐶(鐔寄りの方は平板に作る)を装着し、その間は撚りを表した金線を1本づつ平行に巻く。鐶の節内にも綾杉文様を鏨で表すという手の込みようである。これに対し、柄頭の表面に表した、二重縁取りの菊花散文はやや簡略な表現で、前者とアンバランスな印象を与える。菊花文1個分を空白とし「大世」の2字を太く毛彫りする。この柄頭と鞘の金板はほぼ同じ銀の含有率で、その異形性からも、琉球製といわれている。ただ竹節形鐶や金線の細かな細工は、中国系工人の手になる可能性も指摘されている。金薄板を細かく打ち出して牡丹文を表した目貫も、「伝聞得大君所用カブ簪」などと共通する技法で、中国系の金工技法をもった工人による在地製といわれている。
鐔・鯉口・鐺などは日本製といわれており、鯉口・鐺は、細かな魚々子地に八重菊文を高肉彫りしており、日本製で間違いがない。しかし、鐔・大切羽とこれを両側で挟む縁金具については、拵そのものの評価に関わる大きな問題がある。いずれも細部技法まで同工と見られる。鐔・大切羽は、赤銅(金を含有する銅合金で、表面を紫がかった黒色に色上げする)鍛造。縁は、柄側が金無垢、鞘側が赤銅の鍛造による。鐔は木瓜形で、四方に猪目形を透かし、これに金覆輪を被せる。また上下左右に四弁花形を透かす。周縁を両面とも断面三角形に作り、側縁に15個、両面に各8個の菊花文を金象嵌する。周縁の頂は刻線で縁取り、その一分を切る形で「てかね丸」と文字を刻む。大切羽は2枚で、両者とも四方に猪目を透かし、片面に6個の菊花文を金象嵌する。また赤銅製の縁の腰(側面)にも菊花文を金象嵌し、その1カ所に記号を刻む。金無垢の方の縁も、腰に菊花文を鏨で毛彫する。

千代金丸拵の制作時期
尚家資料中の「千代金丸宝刀ノ由来」によれば、千代金丸は山北王家累代に伝わる宝刀で、応永23年(1416)の中山との戦いに敗北した際、攀安知がこれで自害し重間川に投じたが、その後伊平野の住人が宝刀を護ったという。これは「中山世譜」巻四 尚思紹王 永楽14年(1415)条の、尚巴志が山北王攀安知を今帰仁城に滅ぼした記事とほぼ対応する。したがって刀身は、第一尚氏初代思紹とその子の巴志の対山北の戦勝事跡にまつわる遺品として尚家に伝来したことを窺わせる。また柄頭の銘「大世」は、6代尚泰久(1454~60在位)の神号「大世王」と見られる。これらの伝承と銘からすれば、1454年が刀身制作年の下限で(作風に特に矛盾はない)、拵は事跡にちなみ15世紀半ばに尚泰久が製作せしめたもの、と解釈されている。
千代金丸拵は、治金丸拵と金具回り、とりわけ、一見酷似する鐔・大切羽を詳細に比較すると、菊花文の象嵌・彫金表現、猪目透かしの形、大切羽裏面の仕上げと金覆輪の施工など、治金丸拵の方が格段に優れた作行を見せ、これらの制作が千代金丸に先行するといわれている。
千代金丸拵の鐔・大切羽が、治金丸拵のそれに倣い、琉球で制作されたことはほぼ間違いない。ただ拵全体も治金丸より後に作られたかどうかは予断を許さない。金無垢の鯉口・鐺が拵当初の金具で、赤銅製の金具が新補と見られている。金製縁と赤銅製縁の菊花文の蘂(魚々子打ち)など細部表現が違うことも、この考えの傍証となる。また逆に拵の年代も下がるということであれば、柄頭の「大世」の文字は、伝承に合わせた後刻、ということになろう。
千代金丸の鐔に刻む「てかね丸」の文字である。当然に、尚家に両刀剣が入って以降に千代金丸と治金丸の伝承が入れ替わった、という可能性、あるいは鐔・大切羽のみが入れ替わったという可能性を考えねばならない。まず後者の場合は、古い方の現治金丸の鐔に、脇差という拵形式に起因する小柄の櫃穴があり、現千代金丸の鐔にはそれが無いということと、千代金丸の赤銅製縁が鐔と同工で、これら赤銅製金具全部が入れ替ることは形状の上からあり得ないので、成立し難い。一方、伝承が入れ替ったという場合は、黒漆脇差拵として制作されたということになり、伝承の逆転がこれが以降に意図的になされ、「大世」銘もその際に刻まれた、という新たな想定が必要になってくる。
千代金丸拵と治金丸拵の関係、制作時期の新古については、にわかに解決し難い問題もあり、後考を期さねばならない。ただし、両拵の鐔・大切羽のように、日本品と遜色なく、先学をして「日本製」と言わしめるような作行の刀装金具を、16世紀前後の首里王府工房で作り出すことが可能だった、ということである。甲冑金具や木棺飾金具などの制作も含め、尚王家が中世日本の金工技術を積極的に移植したという事実は、古琉球時代の対日。対中関係史にとっても重要な意味をもつといわれている。

琉球王国の王家であった尚家継承の文化遺産資料の一部について非破壊・非接触の測定が可能なポータブル蛍光X線分析装置を用いて材質調査が2000年12月に行われた。
金装宝剣拵(号 千代金丸)
刀身で4箇所、拵で6箇所、計10箇所の測定が行われた。刀身および峰から検出された元素は鉄(Fe)だけであり、他の元素は検出されなかった。日本古来の刀の材料は、炭素(C)を適当料(1~1.5%程度)含有したものであることがよく知られており、本資料についても1%以上の炭素の存在が予想されるが、今回の測定条件では炭素を検出することができないため、その存在量を判断することはできなかった。炭素以外にも、今回の測定条件では検出することができない硫黄(S)などの元素が存在している可能性があるが、その存在量は微量であることが予想され、炭素を除いて考えた場合、刀身材料の鉄含有率は99%以上であるといえる。
また、茎については、金装飾部および茎尻の2箇所を測定した。金装飾部からは金(Au)、銀(Ag)および銅(Cu)の3元素が検出された。今回の測定結果だけで、この部分の構造を断定することはできないが、表面に金貼りが施されていることが予想されており、その下に銅が用いられていることが考えられる。銀は金貼り材料および下層の銅の両方に含まれている可能性があり、今回の測定結果だけからはそれぞれの化学組成を求めることはできない。また、茎尻からは鉄だけしか検出されず、材料に関して刀身と同じ考察をすることができる。
拵部分については、鞘表面中央付近での測定では金(Au)が大きく検出されるとともに、少量の銀(Ag)が検出された。この測定結果だけで、金と銀が合金として存在しているのか、あるいは別の層として(例えばメッキや箔などを下地金属に貼った構造など)存在しているのかを判断することはできないが、仮に金ー銀合金であると仮定すると、金90%、銀10%含有率相当の蛍光X線強度が得られた。柄頭、柄の目釘、柄頭側面の測定においても、ほぼ同様の結果が得られており、これらが金ー銀合金であると仮定すると、金90%、銀10%程度の含有率に相当するものであることがわかった。柄の目釘、柄頭側面からは微量の銅(Cu)が検出されているが、検出量は茎の金装飾部などから検出された量に比べるとはるかに小さい。一方、黒色の鍔側面の測定では大量の銅(Cu)が検出され、金(Au)、銀(Ag)は微量検出されただけであった。この部分の材料としては、わが国の刀剣装具として古くから用いられてきた煮色着色法により処理された金属あるいは合金が用いられていることが予想される。測定結果およびその色調から推測すると、銅ー金合金を煮色着色した材料ではないかと考えられる。銅ー金合金であると仮定すると、銅96%、金4%含有率相当の蛍光X線強度が得られている。
また、鞘の内部についても大変興味深い結果が得られた。検出された元素は鉄(Fe)および微量の銅(Cu)だけであった。X線透過写真撮影においても、鞘の透過像が得られにくく、何らかの金属の存在が予想されたが、今回の測定により鞘の内面に薄い鉄張りが施されていることが明らかになった。鉄の刀身を、内面に鉄張りが施された鞘に収めるという、きわめて珍しい構造を有した資料である。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

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