上野貞宗(こうづけさだむね)

  • 短刀 無銘 相州貞宗 (名物:上野貞宗)
  • 徳川美術館蔵
  • 長さ 9寸5分(28.8cm)
  • 反り 僅かに反りこころ

 

 

上野貞宗は相州貞宗の短刀で「享保名物帳」に所載する。もと宇都宮城主:本多上野介正純の蔵刀だったので上野貞宗とよぶ。正純は少年の日から家康に仕えた功臣で、関ヶ原の陣、大坂の陣、将軍宣下、家康廟の創建など重要な事柄にはすべて関与した。然るに元和8年(1622)8月、最上氏の山形城没収のことで、その地に趣いた時将軍秀忠の怒にふれ、同年10月、宇都宮の封地を召し上げられ改易になった。上野貞宗は上野江とともに闕所道具として幕府が没収した。寛永7年(1630)、本阿弥家で金三百枚の折紙をつけ、のちさらに七千貫に上がった。寛永16年(1639)9月、三代将軍家光の息女:千代姫が尾州徳川家の世子:光友に入輿のさい、光友へ五月雨郷の刀、後藤藤四郎の脇指を、また父義直へ上野貞宗の刀、大森吉光の脇指を家光より贈った。尾州14代:慶勝は嘉永7年(1854)3月、上野貞宗に海老鞘巻きの拵えをあつらえて、自らの差料にした。

名物帳には「尾張殿 上野(貞宗) 無銘 長さ九寸五分 代七千貫
表釼爪。裏護摩箸爪。本多上野介殿所持。けつしょ道具に成て上る。寛永七 御城より下り七千貫に上り、 千代姫君様御入輿之節 家光公より尾張大納言殿拝領也」

尾張徳川家における記録では
・御腰物御脇指帳(慶安4年-延宝3年) 御脇指
一 無銘貞宗 代六千貫 御拵有 御拝領(略)是ハ卯ノ九月 右兵衛督様(尾張二代光友)御祝言之刻 大殿様(尾張義直)御拝領
・鞘書
「仁弐ノ参拾(仁2-30)」 名物上野貞宗御小脇指 無銘長九寸五分

形状は、平造、真の棟、身幅やや広目、表に素剣、裏に護摩箸を彫るとともに、もとに鍬形の彫りがある。鍛えは板目に小杢まじり地沸えつく。刃文はのたれに小乱れ交じり、小沸えついて砂流しかかり掃ける。鋩子は表浅く乱れ込み先丸く沸えついて返る。裏は同じように乱れ込み先掃かけて返る。中心生ぶ、僅かにまち送り刃棟すられる。茎は、先栗尻、鑢右手下がり、棟平、目釘孔三、内一個は銀埋め、無銘。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 9寸5分(28.8cm)
反り 僅かに反りこころ
元幅 9分5厘(2.8cm)
茎反り 3寸3分(10.0cm)

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