私は青森市に在住するIと申します。関東の雄将として名高い小田原五代の基礎を固めた北条早雲の長子:氏綱が鎌倉鶴ケ岡八幡宮へ奉納したと称せられる相州綱広は、以前は正広と称し、広光が弟子の正広五代目で永正、天文頃の相州鍛冶の棟梁下部であった関係で、北条氏綱は、神社奉納刀作成をこの正広に命じました。正広は入魂の作を打って奉ったものと思われます。この恩賞として正広は、小田原太守氏綱より綱の一字を授けられ、綱広と改銘したと古書に見えています。この綱広の三代目相州綱広は、慶長5年、世に天下分け目の関ヶ原合戦で、徳川方となって岐阜の大垣城攻めに功を立て、戦国武将として地歩を固めていった津軽右京大夫為信は、慶長9年相州綱広を当地津軽堀越城に呼び寄せて、作刀させました。銘文は「津軽主為信相州綱広呼下作之 慶長十一丙午年八月吉日三百腰之内」などが遺されています。
長年にわたって手元に置いていた愛刀の数々を少しづつ手放していくつもありでしたが、コロナ禍のなかにおいて上京することもなかなかに難しく思案していました。今回は宅配買取をお願いすることになり取引もスムーズに安心して愛刀を売却することができありがとうございました。

青森県の旧国名は、陸奥国といいます。東海道十三か国の一つで、明治元年、これを磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥の五か国に分けました。したがって刀銘にこれら五か国の名を見ることは極めて希れで、大部分は「陸奥」と切っています。
現在、磐城南部・岩代は福島県、磐城北部・陸前南部は宮城県、陸前北部・陸中・陸奥南部は岩手県、陸奥北部は青森県になっています。
奥州は有数な鉄で産地であります。平安中期に安房という刀工が現れ、舞草派の祖となりました。その門下に、雄安・森房・光長などがいて、安倍氏の刀工として大いに栄えました。源吉家が奥州征伐のさい、雄安や森房を召し連れて行ったところ、雄安は安倍貞任に奪われた、という伝説があります。それは奥州鍛冶の腕が劣っていたので、優秀な中央の刀工が欲しかったからであります。鎌倉末期になると、平泉に宝寿が現れ、数代同銘で活躍しています。
江戸期になると、会津城下の三善長道派、仙台城下の国包派が門戸をはり、ともに幕末まで続きました。なお、仙台の前藩主:伊達綱宗が作刀したことは有名です。幕末になると、会津における古川兼定、角元興らの活躍が光っています。仙台領内では、雙竜子玉英が「表海鍛冶伝」「和漢刀剣談」を著し、雄藩に人あることを示しています。
装剣具の製作では、岩代の会津に伊予から移住してきた正阿弥派があり、特に幕末に大いに活躍した。仙台には草刈派・渋谷派などが、いわゆる仙台象嵌で名をあげたほか、小熊・斎藤・助川などの諸派があって、互に技を競っていました。

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