岩手県のKと申します。今回はつるぎの屋さんにご縁があって宅配買取をお願いし色々とご親切にして下さりありがとうございました。
私の地元である岩手県一関市には蕨手刀に縁の深い土地でありまして少しご紹介したいと思います。
蕨手刀は八世紀から十一世紀頃にかけて盛行した、いわゆる打刀であり、柄と身が共鉄になっており、中心に樺巻などを施し柄としたもので、柄頭が早蕨に似ていることから蕨手刀の名がついています。ほとんどが出土品で関東以北が圧倒的に多く、征服されて帰化した蝦夷が多く使用していたために俘囚刀とも呼ばれ、中心に長方形の透しを加えたものは毛抜形太刀との関連を示すものであり、さらには日本刀の起源にまで発展する貴重な資料です。作風は板目肌立ち沸づき、地景入り湯走りを交じえて相州物の如き感があります。刃文も判然とせず古調で、時代の古さを物語っています。
昭和40年までに発見され、報告された蕨手刀は183例の多きに及び、そのうちほぼ完形の135例があります。その後なお8件の発見・発掘例がありましたが、やはり地方色は濃厚です。山口県萩沖の見島で発掘した刀はやはり切先両刃造りであり、長野・群馬の出土例は柄反りの強い、柳包丁形のやや短寸のものであり、東北・北海道の例はいずれも太刀様の作でした。しかし刀子はいずれも無反りでやや内反りの感があるが、やはり柄反りすなわち中心の反りは強い。蕨手刀には長寸のものはなく、福島県大沼郡新鶴村佐賀瀬川の刃長55.5センチが最長であり、これには約2センチの反りが認められ、北海道江別市江別太出土の毛抜透しの蕨手刀は先欠であっても、なお3センチの反りがあります。その他、1.5センチ以上の反りは13例、1センチ以上は15例あって、柄反りはいずれも強く、岩手県陸前高田市小友町岩井沢出土の毛抜形透しの蕨手刀などは刃長50センチにすぎないが
3.3センチの中心反りがあって、そのうえ1.3センチの刃反りをもっています。中心反りのない例は全例中わずかに6例であって、平均1.5センチの中心反りがあります。ところが全国出土の直刃はおそらく数千の例があり、正倉院にも奈良期の伝世刀が55例も遺っているが、1振たりとも、中心反りはもとより、意識したと認める反りをもつ例がありません。岩手県江刺市岩谷堂発見の刃長47.2センチの先欠の蕨手刀にも0.4センチの刃反りがあって、中心反りは1.5センチと計出され、その年代は刀姿および反りの変遷よりしても、明らかに、年代は八世紀後半から九世紀早期の形式をしめしています。

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