福井県敦賀市に住むMと申します。私の父が刀好きであった関係で、私も知らないうちに彼方好きになってしまいました。子供の頃、父が自宅の蔵にあった数振りの刀を丁寧に手入れしていたのを覚えています。そのなかに、越前康継の喜内彫のある見事な脇指がありました。それある会に持っていき、鑑定家の先生に見ていただいたところ大変にお褒めの言葉をいただき、大切にするようにおっしゃってくださいました。長年、私が手入れをしてきたのですが老齢で引き継いでくれる後継者もおりませんので今回に手放すことといたしました。どうぞ、将来の所有者の方にも可愛がってもらえるように願ってやみません。

福井県の旧国名は 越前国と若狭国といいます。
越前国は、北陸道の一国で、今の福井県の北部、「延喜式」によれば、横刀十口を毎年朝貢していました。この数は北陸第一です。南北朝の初め、金津権三国長という薙刀作りの名人がいた、というが、それは遺作のない幻の刀工です。それに少し遅れて、千代鶴国安が越前府中、今の武生市に現れました。京都の来国安の門人だったので「越前来」と呼ばれています。江戸末期から有名になった越前鎌は、千代鶴国安の始祖を崇めています。
新刀期なると、下坂康継、つづいて長曽弥虎徹が出ましたが、ともに江戸に去ってしまいました。しかし康継は三代目になって、分家だけは福井に帰ってきました。なお、堀川国広の門人:山城守国清が移住してきたほか、美濃の関からも多くの刀工が福井城下に集まりました。いずれも実用刀の世に送りました。なお、高橋喜内という鐔工が出て、刀剣の彫刻にも絶妙の腕をみせました。
若狭国は、北陸道の一つで、現在の福井県の西半部、略して若州ともいいます。武田信栄が永享12年(1440)、若狭の守護となって以来、お浜城に拠って威を振るったが、織田信長のため、国を奪われました。若狭は京都に近いため、文化・経済両面での交流が盛んでした。刀工としては、明応(1492)ごろから、冬広が小浜に鞴をすえ、その子孫は今日に及んでいます。そのほか、宗長の一門が永正(1504)から、戦国末期まで槌音を響かせていました。

【福井県の買取対応エリア】
福井市、敦賀市、越前市、小浜市、大野市、勝山市、鯖江市、あわら市、坂井市、吉田郡、永平寺町、今立郡、池田町、南条郡、南越前町、丹生郡、越前町、三方郡、美浜町、大飯郡、高浜町、おおい町、三方上中郡、若狭町

日本刀や刀剣の買取なら専門店つるぎの屋のTOPへ戻る