鹿児島県の刀剣買取の事例
鹿児島県に在住するTと申します。私が初めて刀というものを見たのは、五つか六つの時だったと記憶しています。近所の自転車さんが4,5本持っておられました。その時脳裏に焼付いた、あの地鉄の黒く澄んだ神秘なまでの美しさは、オーバーな表現ですが一生忘れることがないでしょう。
この元平の脇指は、私が会社勤めてから初めての賞与で購入したものです。注文打ちでもあり、おそらく大小揃いだったと思われます。できれば、刀の行方を知りたいと思っておりました。
根っからの刀好きなのでしょうか。トラブルがあったり、気持ちが何となく落ち着かない時など刀を出して無心に眺めていますと、気持ちが和んできます。そこが最も私の生活にプラスになっている点でした。もっともこのようなことは、愛刀家なら誰しも一致した意見ではないでしょうか。
しかし、私も定年を過ぎてしばらくしますが、最近になってからはこの元平を手に持ったときに以前よりも手持ちが重く感じられるようになりました。わたしもまだまだ元気でいたいとは思っておりますが、子供達も娘ばかりということもあり、手入れを怠ってしまい立派な刀身を錆させてしまっては刀に申し訳ないと思いこの機会に手放すことを考えました。幾度となくこの元平に助けてもらったことを思うと手放しがたくもありますが、次の新しい所持者になる方に再び可愛がってもらうことを希望します。
鹿児島県の旧国名は、薩摩国と大隅国といいます。
薩摩国は九州の最南端に位置する西街道十二カ国の一つで、古くは薩末・薩麻ともも書かれ、略して薩州といいます。谷山郡谷山郷波平(鹿児島市内)居住の波平派は、正国を祖として、平安期から幕末まで連錦と続きました。新刀期になると丸田正房の新派が勃興し、江戸中期には主水正正清・主馬首安代の両名工を出し、幕末には伯耆守正幸。大和守元平の二派が繁栄しました。
大隅国は西街道の南端にあった国名で、種子島を含み、大隅隼人は薩摩隼人とともに、古くから朝廷の警衛に任じていたが、それの佩く横刀(たち)は「私備」のものでした。すると、大隅国から用意してきたわけだからと、大隅国には古くから刀工がいたことになります。海岸の至ることころ砂鉄があるから、材料はそれに求めたはずです。しかし刀工名の伝わっているのは鎌倉期に下ってから、後鳥羽上皇の御番鍛冶の一人、粟田口久国が下向してきたというが、実際はその門人でしょう。室町末期になると、高隈に重吉、清水に儀重、小谷に家秀、蒲生に盛近、種子島に清定、新刀期になると、高隈に重包、横川に氏貞、佐多に氏房、新々刀期になると、加治木に貞宗・正光・正景良門らがいました。
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