長崎県在住のUといいます。この度は父が遺した南蛮鐔の売却に際してご尽力くださってありがとうございました。父はあまり刀剣には詳しくなかったようですが、地元である長崎の刀装具には関心があったようで、長年にわたって収集した鐔は膨大な量でありました。ただ、鐔も素材が鉄で製作されているものはどうしてもサビが出てきてしまい私ではお手入れをすることが難しいのでこの機会に手放すことに致しました。
南蛮鐔は打ち刀の鍔で南蛮船が舶載してきたといわれています。江戸中期には、漢南鐔・広東鐔と分けて呼んでいたそうですが、幕末になると、総称して南蛮鐔と呼ぶのが普通になりました。区別してよぶ場合は、漢南鐔が広東鐔より多く用いられました。明治になると、狭義の南蛮鐔・広東鐔・漢南鐔の三種に説明するようになったそうです。狭義の南蛮鐔は、円形の鉄地板鐔で角耳、薄くて比較的大型、これに銀などの布目象嵌をもって、文字・易卦・唐草などを描いたもので、錆は生じにくいが、鉄色は冴えないものである。戦後は三種に区別せず、総称して南蛮鐔とよぶのが普通です。これには製作地によって、外国製と日本製の別があります。

長崎県の旧国名は、壱岐国と対馬国といいます。
壱岐国は初め九州九カ国とは別に島司をおき、国守に准じたので、後には国として取り扱われるに至りました。現在の長崎県壱岐郡、「延喜式」には壱岐の横刀の貢納を命じていないから、刀工はいなかったようです。幕末になって、月州山正行が現れ、横山将監祐信が長船から移住し、重守などの刀匠も出ました。
対馬国は西海道十一カ国の一つで、現在の長崎県上県郡・下県郡にあたります。鎌倉期以降、宗氏が領有し、厳原(町)の府中城を居城としました。刀工は寛文(1661)ごろの清俊しか知られていませんが文明(1469)ごろ、対馬の豆老可文という刀工が、朝鮮の李朝から招かれ、移住しています。

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