奈良県在住のSと申します。つるぎの屋の店主の冥賀吉也さんとは同世代ということでも妙に馬が合い昔から良い刀があると分けてもらっていました。私も関西で広く事業を行って参りましたが隠退してからは静かな奈良の方に終の棲家を構えて移り住んでいました。冥賀さんが関西方面にお越しになられた時には拙宅に立ち寄ってもらい、ついつい刀剣談義に華が咲いてしまい時間が遅くなってしまった時には泊まっていただいたことなども今となっては楽しい思い出です。私も年を重ねてそろそろ愛刀を少しずつ手放していかなければと思っており冥賀さんに相談することにしました。お店から譲りうけた刀もあれば、他店から購入した刀も多くありましたが、委託販売でお願いして新しい愛刀家の元に嫁いでいった刀、製作された刀の郷里の方へ行った刀など、一振り一振りを丁寧に仕分けをしてくださって感謝しております。長年に亘って収集してきた全ての刀を一遍に手放してしまうと手許が寂しくなってしまいますので、まだ数振り残しておりますが、またその際にはお願いしたいと思っております。

奈良県の旧国名は大和国といいます。五畿内の一つで、現在の奈良県、古くは倭の字をヤマトとよんでいたが、山跡・山常・山門・邪馬台などの字もあてました。美称の「大」を加え、大倭と書いていたが、天平9年(737)大養徳と改めました。しかし、十年後には再び大倭に復しました。倭を和にかえ、大和と書くようになったのは、天平勝宝元年(749)ともいいます。
刀工は、建国以来おおむね都がここにあった関係で、古くから刀工がここにいました。従来、日本刀の祖という伝説になっている天国をはじめ、天座・藤戸・友光などの名が、古剣書に載っているが、いずれも直刀時代で、伝説的な存在になります。
実在的な刀工としては、まず奈良の東大寺付属の千手院派が、もっとも古いです。平安末期に、行信を祖とする古千手院派が出現したが、そのころの遺物は今日ほとんど見受けられません。鎌倉中期に重弘を祖とする中千手院派が復興したが、これも今日、在銘は希れです。本阿弥家で、大和風の無銘物に、沸が盛んにつき、横手下で大きく乱れるものを千手院物と極めたものが多いです。
弘安の役のころ、元寇に備えて、当麻寺門前に、国行を祖とする当麻派と、東大寺の手掻門前に、包永を祖とする手掻派とが勃興しました。当麻派の遺作は少ないが、手掻派には名作が多いばかりか、室町期まで、いわゆる末手掻派を残し、さらに美濃に流出して、美濃物という大派閥を形成するに至りました。鎌倉末期になると、高市郡に貞宗を祖とする保昌派と、吉野郡に延吉を祖とする竜門派、宇多郡に国光を祖とする宇多派などが出現しました。保昌派は柾目鍛えという独特の鍛法で、新風を吹きこみました。宇多派は越中に移動し、かの地で栄えた。
室町期に入ると、手掻派が大いに活躍しましたが、戦国期になると、同じく奈良市中に、金房派が台頭して、戦乱の需要に応じていました。
新刀期になると、末手掻派は文殊派を名乗り、主流は山城の伏見に移住しました。その末流の筒井紀充が、郡山城下において大坂風の刀を打ちました。
作風は、共通の特徴として、剣形は鳥居反りで、鎬高く、かつ鎬幅が広いです。地鉄は柾目肌が最大の特徴で、杢目肌でも柾目がまじります。刃文は直刃、または直刃に小乱れまじりが多く、打ち除け・二重刃・掃きかけなどがあります。鋩子は焼詰めや掃きかけが特徴です。中心鑢は小筋違いのほか、鷹の羽・檜垣・平と鎬地の違う摺り分けなどがあります。
鐔工は、江戸初期、「奈良鍛冶家国」などと銘する甲冑師鐔がありました。

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