和歌山県に在住するTと申します。私の家は、代々にわたって蜜柑つくりを営んでいます。郷士で苗字帯刀を許されていた関係で、家にはかなりの数の刀剣が伝来していたようでした。ただし、そのなかに郷土が誇る名工である南紀重国の1振があったと伝え聞いております。今回は私が収集した刀剣の一部をつるぎの屋さんに買取してもらいました。これをご縁に南紀重国の初代の刀がでましたら是非ご一報をお願いしたいと思っています。

和歌山県の旧国名は紀伊国といいます。紀伊国は南海道中の一国の名で、現在、海草・那賀・伊都・有田・日高・西牟婁・東牟婁の七郡は和歌山県、南牟婁・北牟婁の二郡は三重県に属します。古刀期には熊野三山の実次、南牟婁郡紀和町入鹿に実綱、那賀郡粉河町粉河に簀戸国次などの一派がいました。新刀期になると和歌山城下に、有名な南紀重国がでて、幕末まで連錦と続きました。そのほか、土佐将監為康が移住してきて、紀州石堂の祖となりました。鐔工としては、浅野長政の抱え工:川口法安が、浅野家紀州在国の間、和歌山城下に居住していました。その門人:貞命は、その後も同城下に残留しました。
和歌山は、紀伊国名草郡和歌山、現在の和歌山県和歌山市、天正13年(1585)、豊臣秀吉が弟:秀長のため、吹上の伏虎山に築城させ、桑山重晴を城代にしたのが始まりで、その海岸を、和歌浦と呼んでいたのに因み、和歌山という新しい地名が生まれました。明光山とも書き、旧和歌山市の南海岸・和歌の浦を、明光の浦と書くことは、すでに神亀元年(724)、聖武天皇の詔に、「弱ノ浜ノ名ヲ改メテ、明光ノ浦トナス」、とあるのに始まります。南紀重国初代の銘に、「大和州住人九朗三郎重国 居駿河州 後於紀伊州明光山作之 元和八年戌八月吉日 羽掃 為都筑久太夫氏勝作之」、と切った脇差が遺されています。
徳川頼宣が元和5年(1619)、五十五万石の太守として入城、南紀重国を藩工として召し抱えました。

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