私は東京都に在住していますが、田舎は岩手県遠野市になります。父が遠野で一人暮らしをしていたのですが数年前に他界しました。いまは誰も住んでいない田舎の家になりますが、私が連休などの休みをみつけては片付けに行っていました。とはいっても、東京から遠野までは車で行くものですから、おいそれと行けるものではありません。雪の無い季節に年に2~3回やっと行けるという感じでした。車で東北自動車道で約5時間、そこから一般道に降りてから1時間と少し、合計で6時間はかかります。宮城県仙台市辺りまでは気分も軽いのですが、そこから先がはやり長く感じられます。

父は生前は骨董品を収集していました。地元の絵描きの作品など書画もいくつかありました。その中に短刀が数振でてきました。家の土台から出てきた先祖伝来のものだと父には聞いていましたが、長い間そのままにしてあったようでかなり錆が出ていました。抜いてみるとジャリジャリという音がして、刀身の半分くらいは黒い錆が出ていました。ネットで検索してみると刀剣の売買には登録証が必要ということでしたが、案の定それは見つかりませんでした。棄てるわけにもいきませんので、日本刀買取専門店つるぎの屋さんに電話してみると、ご主人が「短刀が錆びていても捨ててしまうのは可哀想だから、登録を取ってください。」というお話しでした。そこで、登録証の新規取得について丁寧に説明してくださいました。発見場所は岩手県ですが、私は東京に在住なもので発見届を取得すれば、つるぎの屋さんも東京都在住ということで、登録手続きは代行してくれるということになりました。つるぎの屋さんが説明してくれた通りに、地元の警察署に電話すると、刀剣を担当する生活安全課の警察官の方が、家に来てくれて刀剣を発見した場所の確認と、刀剣の長さと銘文を記入した発見届を作成してくれました。特に、不安なこともなくにスムーズに手続きが進みました。後日に、刀剣類と発見届を持参してお店に伺うと、登録手続きの委任状にサインして代行をお願いしました。翌月の刀剣審査会で無事に登録できたようで、代金もその日に振り込んでもらえました。登録手続きの手数料は無償ということでしたが、何より私自身が不慣れな登録審査会に代行をお願いしていたもので行かずに済んで気持ちが楽でありました。その後、刀剣はつるぎの屋さんの方でご主人の名義に名義変更して手続きが終了だそうです。短刀も錆びたままでは可哀想ですので新しいお持ち主のもとで輝きを取り戻せることを願います。

東京都の旧国名は、武蔵国といいます。東海道十五カ国の一つで、東京都・埼玉県にわたる区域で、古刀期には、多摩郡恩方村下原(東京都八王子市)に、周重・康重らの下原派、高麗郡高麗郷(埼玉県入間郡日高町)に、貴光・定家らの高麗派とがいたにすぎませんでした。新刀期になると、江戸に幕府が開府したため、越前康継・長曽弥虎徹・野田繁慶・石堂是一・大和守安定・法城寺正弘・上総介兼重・日置光平・対馬守常光・大村加卜ら、新々刀期になると、水心子正秀・大慶直胤・細川正義・山浦清麿・栗原信秀・長運斎綱俊・備前介宗次・泰龍斎宗寛ら、名工が雲のごとく集まりました。
金工や鐔工も、江戸期になると、後藤家が京都から移住してきたほか、横谷宗珉・土屋安親・奈良利寿・杉浦乗意らを初めとして、浜野・石黒・大森・柳川・菊岡らの諸派が競いおこり、幕末になると、後藤一乗・加納夏雄の両雄が最後を締めくくりました。そのほか、鐔工として、赤坂・伊藤の両派が知られています。
刀工の受領として、戦国末期の安芸住政益、江戸初期の常陸住吉門のほか、18名ほどが武蔵守を称していますが、幕府は宝永7年(1710)4月、武蔵国は将軍の所在地という理由で、今後、武蔵守を受領することを禁じ、すでに受領しているものも、改称するよう申しわたしました。それでそれ以後、武蔵守という受領銘は見られなくなりました。

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